教主からのメッセージ

この世を活かす言葉

令和三年も半年を過ぎ、いよいよ一年越しの東京オリンピックが開催される時期となりました。

世の中は一時でもこのコロナ禍の現状を忘れ、華やかなオリンピック一色に染まり、人々の気持ちも高揚感と共に一つとなり――とは、どうもいかないように見受けられるのが現状ではないかと思われます。

開催への不安、選手を始め関係者の感染対策、それを支える医療態勢の確保、観客の有無、観戦のあり方、報道の姿勢など……それこそ課題を挙げるだけでキリがありません。

様々な矛盾をはらみつつ、また様々な意見、感情の中にありながら、そこに何とか開催する真の意義、意味を見出しつつ、関係者が必死になって努力している、というのが実状であり、おそらくそれは完全に解消することなく、その不安を抱えたままオリンピックも進んでいくのでしょう。

それでいいのです、とあえて私はお伝えします。逆に、何か浮かれ気分のお祭り騒ぎの中、様々な矛盾、感情に蓋をして、何の意味も意義も見出す暇もないままに終わってしまうオリンピックより、よほど人類のこれからにとって、大きな一歩を踏み出すための「祭典」になっていると、私は心から思うのです。

ですから、このような機会に、会員の皆さんに信仰者のあり方として是非、心していただきたいことは、このような状況に対する心ない批判や非難だけは決して口にしていただきたくない、ということなのです。

人を活かすのも口であり、人を殺すのも口でありますが、多くの場合小人の悲しさは、人を活かす良心をもたず、何時も何時も人を殺す口だけを持っています。この口は実に毒蛇の口よりも危険であります。それは思うに妬み恨みの卑しさから起る一番低い心の表われであります。

道祖はこのように無責任な心から出る悪口や批判、非難がすべてを滅ぼす源であると、常におっしゃられていました。

もちろん誤解していただきたくないのですが、何もかも全て絶対服従で、異なった意見や提案をしない、ということではありません。むしろ真剣に今の目の前の人のことや事態を考えている人ほど、時には相手を傷つけることも辞さず、手厳しいことを言うことがあります。

意見と批判は、そのスタンスが根本的に異なります。

批判は、判断停止です。相手や状況、環境が悪いと決めつけ、それ以上の思考を停止しようとする、いわば「楽」なあり方です。

一方、意見を言うとは、これからその相手や環境、状況と必死になって良い道を模索し続けていこうとする意志の表われです。そのためには時間も、エネルギーも、お金もかかります。それでも相手と共存していこうという、きわめて良心的な生きる姿勢のことです。

人生をもたぬもの、人生にして人生をもたぬもの、それは人生の魂をもたぬものです。故に人生として口のきき方をまるきり知らない。私は最も痛烈にそれを戒飾する。他人の批評とは何事ぞ、なぜ自らを思う存分叩きのめさぬか。他人を妬み他人を恨むその不心得を、なぜ第一叩きのめさぬか。自分の胸の狭き人間の小さな卑しさを棚に上げて、故なく他人を傷つけるのは、実に自分の卑怯な根性を自分で紹介するものであります。

いま世の中のあらゆる場面で、閉塞感が漂っています。

もちろん政府から様々な宣言や防止策が提示されている中、いまだに制限が続いていることは確かですが、昨年の今頃よりよほど人々は「動き」始めています。それでも、どうも人々の中にある行き詰まりは、かえって以前より重くなっているように感じられるのです。

先日の浅野信先生の講話会において、「身(しん)口(く)意(い)の三業(さんごう)」と「三密(さんみつ)」について、お話がありました。昨年秋の講話会においてもふれられましたが、先日はより深く、そしてより今の状況を見据えたお話となり、私は胸を打たれるものがありました。

今のこの閉塞感を真に打開するのは、希望に満ちあふれた人々の生きる姿勢です。具体的には、身(み)と口(くち)と意(こころ)、この三つの働きを通して、世の中に道祖のおっしゃる「人生の魂」を表現していくことです。

身の振り方、口のきき方、心の持ち方、その一つ一つが、他ならぬこの世界そのものを浄めているという自覚を、果たして私たち信仰者自身が持ち得ているでしょうか。あえて自問自答していただきたいのです。

あなたのその行ないは、言葉は、思いは、この世界を浄めていますか? それとも穢していますか?

これは実に厳しい問いかけです。けれども、決して手放してはならない問いかけなのです。

特に言葉、これは口にする言葉もそうです。書く言葉もそうです。ネットなどで発信する言葉も、まさにそうです。その言葉一つ一つには、意志が必ず宿っています。その言葉は、他者を思っていますか? それとも他者をなくそうと思っていますか? まさに「人を活かすのも口であり、人を殺すのも口であります」。

常に問い続けてください。このような時代だからこそです。言葉は言霊(ことだま)です。この言霊が、全ての浄めの源となるのです。祝詞も、お経も、この言霊によって、見える世界も見えない世界も共に浄めていく尊い手立てです。

私はこの東京オリンピックが、たとえ直前になり開催を断念するような非常事態が起きたとしても、この機会が日本人の、そして世界の一大転機となることを信じています。

それは人々が、世界中の人々と、またこの地球そのものと、共に生きていくこととは何か、あらためて問いかけるきっかけとなるからです。

そして、もし無事、開催の運びとなったなら、必ずや世界中のアスリートたちが、その身で、口で、意(こころ)で、この世界で共に生きる私たちに向かって「希望」の姿をもたらしてくれるでしょう。私はそう心の底から確信しています。

会員の皆様、今がご自身の祈りを最高に深める時です。このような「非常(ひじょう)重大(じゅうだい)の時機(じき)に魂(たましい)の覚醒(かくせい)を得(え)ねば遂(つい)に其(そ)の機(き)を永久(えいきゅう)に逸(いっ)するに至(いた)るであろう」という道祖の『真行』のお言葉を、もう一度この時に繰り返させていただきます。

かむながらのみちとは、身口意の三業を三密に昇華していく道です。

神仏の意を体し、神仏の意をこの世に実現せんとする、勇気と実践の道です。

おそらくこの世の多くの方が、この閉塞感を打開する根本的な道筋を求めています。

会員の皆様は、日々の一挙手一投足を、どうか朗らかで、確信に満ち、未来を見据えたものにしていこうと、常にも増して心がけてください。

その生きる姿勢そのものがお導きです。必ずや、そのような人の周りには、自然と多くの人が寄り添い、共に歩み、そして共に神仏より与えられた使命を果たしていく友となることでしょう。

これから暑い盛りとなりますが、お互い様にお体に気をつけて、日々を精一杯、神仏のお役にお使いいただきましょう。

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