会長からのメッセージ

新生かむながらのみち

令和6年新春を寿(ことほ)ぎ、全国会員の皆様と共に新たなる年を迎えられますこと、心よりお慶び申し上げます。

世情は益々混迷の度を増し、自我と欲望が渦巻く中、人心は乱れ、自然は荒廃し、果たしてこのコロナ禍で我々人類は「覚醒」したのだろうかと、時に暗澹(あんたん)たる思いにとらわれることも事実です。

しかし、夜明け前の一時が最も闇が深いように、この世情こそが人類和合の夜明けを迎えんがため神仏より与えられた尊い試練であり、この混沌とした世に光を与える使命が私たちかむながらのみちにはあるのだということを、会員諸士とあらためて深く胸に刻み込みたいと存じます。

さて、毎年、年頭にお伝えしております干支暦で本年を見ますと、令和6年は「甲辰(キノエのタツ)」となります。

干支とは陰陽五行を基にし、空間と時間の交わりから大自然の法則を読み取る古代人の智慧の結晶です。令和5年は「癸卯(ミズノトのウ)」であり、その意味するところは「この数年の取り組みが、良きにつけ悪しきにつけ結果となって現われる。世の中は二極化する。そして個々においても、これまでの生き方の結果が現われる」と、昨年年頭に私は皆様へお伝え致しました。

まさにそのメッセージを如実に表わすかのように、新型コロナウィルスが5類となり一つの決着がつきました。と同時にロシア・ウクライナの戦禍は止まず、さらにイスラエル・パレスチナの争いにより、ロシア・中国・北朝鮮を中心とした専制主義国と米国・欧州各国を中心とした民主主義国との対立がいよいよ先鋭化、まさに世界の二極化と言ってよい状況となって参りました。そして、皆さんの人生においての結果はいかに現われたか……?

そして本年「甲辰」。甲は陽の木性であり、自然界においては樹木。また十干の始まりであり、日出る東方に位置します。意味としては、日の出、芽吹き、新たなる時代の幕開け、新たな枠組み創りの始まり――

一方、「辰」は陽の土性であり、季節は春が終わり夏に向かう変わり目。天の中央に位置し、財、食、権力、土地を表わします。また、十二支中唯一の架空の動物であり、辰・龍は天上界と地上界を結ぶ役目を持ちます。

さらに「振」「唇」「震」はいずれも「辰」の字が用いられ、いずれも「揺れ動く」という意味が含まれています。

以上を総合して見ますと、令和6年「甲辰」とは、自然界に当てはめると「揺れ動く大地に立つ大木」。故に、「大地が揺れ動き、その中で生き残るものと生き残れないものが、はっきりとする年」という意味となります。

世界的な規模で言えば、大地、土地を表わす領土問題の対立が更に現われる可能性があるでしょう。また、地震、風災害にも一層の注意が必要です。

昨年は、個々においても様々な結果が現われたことと思います。それを踏まえ、今年は新たな生き方、枠組みを創り出していく年です。始まりの年です。

世情は益々混沌とし、不安定さを増すことでしょう。だからこそ天上界と地上界を結ぶ辰・龍より神仏の智慧を運んでいただき、大地にしっかりと立ち、信念をもって万事を拓いていくことが大切です。

ここに令和6年かむながらのみちのテーマを掲げます。

新生かむながらのみち
 ~ 人類和合の祈りを深め 誇りと熱意で未来を拓く ~

「新生かむながらのみち」とは、文字通り私どもかむながらのみちが新しく生まれ変わるということです。十干の甲木――すべての始まりを意味するこの年に、私どもかむながらのみちは25周年を迎え、新たなる道場が岡村の大地に、全国会員の熱き願いにより建ち上がります。まさに、新しい時代の幕開けを象徴するにふさわしい出来事です。

その新道場は何のためか。人類和合の祈りを、一人一人が深めていくためです。争いはいまだ止まず、むしろ激化への一途を辿るばかり。人々の中の生霊想念怨念は深く、これを和合させることは至難かもしれません。誰もがこのままでは最悪の事態になりかねないと分かっていながら、何の手立てもないまま時を重ねていく。

だからこそ、私たちは「祈る」のです。人類一人ひとり、国籍も肌の色も宗教も違うけれど、命は一つです。その和合を真剣に深く祈る。祈りを日々深めていく。それが私たちに神仏より与えられた尊い使命です。

そして「誇りと熱意で未来を拓く」。私どもかむながらのみちは、教団の歴史自体は浅いけれども、その法脈はまさに日本の伝統精神そのもの。古神道本宮身曾岐神社より頂戴した古神道の流れ、真言宗醍醐派總本山醍醐寺より頂戴した真言密教の流れ、その法の流れは1000年以上にもわたりこの国を守られてきた先人の努力と智慧の賜物であり、その土台に私どものみ教えがあることは、誇り以外の何ものでもありません。

その誇りを自覚し、熱意をもって多くの人たちにこのみ教えを伝えることが、この世界の未来を拓いていく根本となるのです。

その思い、願いを基とした今年度のテーマを、皆様と共に生きていくことを、この年頭にあらためて神仏にお誓い申し上げます。

凡(およ)そ万物(ばんぶつ)には個体(こたい)あり個性(こせい)ある如(ごと)く、其(そ)の霊魂(れいこん)にも個別(こべつ)がある。而(しか)も生命(せいめい)ある実体(じったい)は死滅(しめつ)するが霊魂(れいこん)は不滅(ふめつ)で唯(ただ)その流転変化(るてんへんか)だけが認(みと)められる。厳密(げんみつ)にいえば物質(ぶっしつ)も消滅(しょうめつ)して了(しま)うのではなく、事実(じじつ)は流転変化(るてんへんか)するのであるが、活動生命(かつどうせいめい)の終(おわ)る時(とき)霊魂(れいこん)は分離(ぶんり)して別種(べっしゅ)の生活(せいかつ)を辿(たど)るのである。例(たと)えば人世(じんせい)は生(い)きている時(とき)は霊肉一体(れいにくいったい)の活動(かつどう)を続(つづ)けているが、死(し)と同時(どうじ)に霊魂(れいこん)は分離(ぶんり)して別世界(べっせかい)に入(い)る。但(ただ)し其(そ)の分離後(ぶんりご)の過程(かてい)や状況(じょうきょう)は時日(じじつ)を逐(お)い条件(じょうけん)に従(したが)って異(こと)なるが、要(よう)するに之(これ)が向上(こうじょう)して神霊界(しんれいかい)に達(たっ)するには幾段階(いくだんかい)を要(よう)する様(よう)である。

我々(われわれ)は誠(まこと)の足(た)らざる汚(けが)れたる心身(しんしん)を以(もっ)てしては絶対(ぜったい)の高貴(こうき)なる神霊(しんれい)に触(ふ)れることは出来(でき)ず、従(したが)って神霊(しんれい)の実在(じつざい)を認識(にんしき)することも出来(でき)ないのであるが、所謂(いわゆる)亡者(もうじゃ)の霊魂(れいこん)というべきものには容易(ようい)に接(せっ)することが出来(でき)る。即(すなわ)ち生前(せいぜん)の悪業(あくごう)、因縁(いんねん)によるとでもいうか或(あるい)は祭祀(さいし)や供養(くよう)が足(た)りない等(など)の為(ため)に、その辺(へん)にうろついている亡霊(ぼうれい)などは、一寸(ちょっと)霊感(れいかん)の鋭(するど)いものには数(かぞ)えきれぬ位(くらい)に見(み)えるであろう。

個々(ここ)純真(じゅんしん)な霊媒素質者(れいばいそしつしゃ)等(とう)に憑依(ひょうい)して来(きた)る例(れい)なども多(おお)くは霊位低(れいいひく)き人霊(じんれい)か邪霊(じゃれい)等(とう)であって、高貴(こうき)なる神霊(しんれい)の如(ごと)きは森厳(しんげん)なる祭祀(さいし)又(また)は誓願(せいがん)の形式(けいしき)によるのでなければ絶対(ぜったい)に触(ふ)れられるものではない。

然(しか)し乍(なが)ら亡霊(ぼうれい)の実在(じつざい)を認識(にんしき)することは軈(やが)て神霊(しんれい)の実在(じつざい)を認識(にんしき)する端緒(たんしょ)となるものである。

道祖・解脱金剛尊者の『真行』「悳行実践」の最後の一節を引かせていただきました。

人類創成から続く争いの中で、幾多の浮かばれぬ霊は、この世とあの世の間をさまよい、常に悲しみと怨嗟(えんさ)の声を上げておられます。その御霊の声、想いは、たとえ「霊感」のようなものがなくとも、少しでも思いを馳せてみれば誰にでもわかることです。

だからこそ、私たちは祈るのです。祈りとは、決してその場限りの願いや欲望を伝えるためのものではありません。祈りとは、自己の心の研鑽です。向上の道です。祈りを深めることで、見えない世界への感性は日々、研ぎ澄まされていくのです。

もちろんそこには「師」の存在が必要不可欠なことは言うまでもありません。先人たちが切り拓いてきた信仰の道を継承し、その心と形を未来へと繋げていく努力によって、はじめて私たちは「高貴なる神霊」に触れられることができるのです。

今、世界に必要なものは、何も難しいものではありません。一言でいえば、他人の痛みや苦しみを共感できる「思いやり」です。すべてを他人事と思わず、我が身に引きつけて想うことのできる優しさと強さです。

高貴なる神霊にふれるため、祈りを深めるとは、すなわちこの「思いやり」に生きる心を養うことです。見えない世界に対する感性を高めることで、見える世界への対し方を根底から改めることです。新たな生き方の創造、革新です。

それを人類、一人一人が行なっていく。もちろん世界人類すべてに至る道程は遠いですが、それでもまずは自己を含めた一人一人です。諦めず、歩み続けることです。誇りと熱意、そして何よりも歓びをもって日々の務めを果たし続けることです。

新生かむながらのみち――会の新生と共に、会員一人一人が、新たな生をいただき、この混迷の世を切り拓いて参りましょう。

最後になりましたが、ご皇室の弥栄をご祈念申し上げ、皆様のご健勝とご多幸を至心より願い、新年のご挨拶とさせていただきます。

合掌禮拝

-会長からのメッセージ

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