会長からのメッセージ

新たなる目覚め

今年もはや3月を迎え、本格的な春の兆しが見え始める時節となってまいりました。

先月には新本部道場の上棟式が行なわれ、秋の竣工への期待が否応無しに高まりつつあります。会員の皆様におかれましては既にご周知のことと存じますが、本年11月3日・4日の2日間にわたり、秋の感謝祭と共に落慶式を開催致します。当日は全国の皆様にお越しいただき、新生かむながらのみちの門出を共にお祝いできることを切に願っております。

さて、年頭に発生しました能登半島地震、被災地はようやく復興の諸に就いたばかりであり、依然として全国からの支援が必要な状勢であります。当会としてもまずは義捐金を募り、心ばかりの援助をさせていただいた他、実際に現地へと赴かれた会員もいると伺っております。

そして何より必要不可欠なのは、心からなる祈りです。3月11日は、あの東日本大震災が発生した日であり、当会では「天災地災人災慰霊大法要」を厳修すべく、各家庭において供養札を通した祈りを年初からさせていただいております。その想いに、この度の能登半島地震で亡くなられた御霊の鎮魂成仏、被災地の復興、さらには人類覚醒・人類昇華の願いを込め、当日は全国会員による熱呪熱祷を捧げさせていただきましょう。

この能登半島地震の報に接した多くの方が、13年前のあの日の光景を思い浮かべたことと思います。私もみずからの記憶を呼び覚まそうと、当時の資料を見直す中で、震災発生直後にご教主が受けられたリーディングを読み非常に感銘を受けましたので、その一部をここに引用します。

日本の歴史を振り返ると、最初は縄文文化でした。主にアイヌの人たちの生活でした。

その後に出雲の人たちが治めるようになりました。出雲の人たちは比較的、アイヌの人たちと共存し、棲み分けられていました。

その後、ヤマトの系統の人たちが治めました。もちろん混血もなされていきました。最終的にヤマトの民族が日本の国を治めるようになりました。勝利したからです。(中略)

縄文人の信仰は分析的ではなく、素朴で一体感が満ちあふれていた点です。現代の東北人にもそれはありました。しかしそれが現代の日本の文明に乗り切れず、波に呑まれてしまいました。

その犠牲に立って、これから残された日本人が教訓を学んで、かつての原点に立ち返ることです。もちろん単なる先祖帰りではなく、これまでの生き方や文明を正しながら前進をするということになります。(中略)

それを出せるのは、日本広しといえども、かむながらのみちしかありません。それがあるからこそ、古神道の「かむながらのみち」という名称が取っておかれて、あなた方がそれを付けることが許されたのです。

ヨハネ・ペヌエルリーディング No12195より

平成23年4月号の『みさとし』に掲載したこのリーディングを本誌面にそのまま再録しましたので、あらためて皆様にもお読みいただきたいのですが、私がこの神示を再読してすぐに思い至ったことは、「能登」はアイヌ語で「半島」や「岬」を意味する「のっ」が起源だとされていることです。

縄文人の生き方の原点に立ち返ることが、このリーディン グでは強調されていますが、まさにこの能登は縄文時代における日本の一大中心地であり、その地が被災したこと。しかも1月1日は暦の上ではまだ「卯」の年であり、奇しくも平成23年も「卯」の年、時節が 一巡りして再度、私たち日本人にメッセージとしてこの出来事をいただいている――

そういった想いが様々に去来し、あらためて日本人がこの令和という時代に果たすべき役目、その中で私ども「かむながらのみち」が天より頂戴した責務の重さ、尊さを、あらためて私自身、深く噛みしめたのです。

新生かむながらのみちとは、まさにそのような思いを胸に、人類覚醒の祈りと行動を実践する人たちの集まりでなくてはならない。その基盤となるのが、まさにこれから建ち上がる新道場なのだと、全国会員の皆様と共に、その誓いと決意を新たにしていくことを強く願う次第です。

神霊(しんれい)の実在(じつざい)を信(しん)じ得(え)ざるばかりでなく、強(し)いて之(これ)を否定(ひてい)せんとするものすらあるが、之等(これら)は単(たん)に縁(えん)なき衆生(しゅじょう)とか霊盲者(れいもうしゃ)として愍殺(びんさつ)し去(さ)るべきでなく、場合(ばあい)によっては神威(しんい)を阻(はば)む天津罪(あまつつみ)の犯人(はんにん)として鉄槌(てっつい)を加(くわ)えねばならぬ。神霊(しんれい)の認識(にんしき)なく、従(したが)って信仰心(しんこうしん)なきものが喪祭祭祀等(そうさいさいしとう)にしかつめらしく列席(れっせき)して一通(ひととお)り神霊(しんれい)に対(たい)するが如(ごと)き態度(たいど)や儀礼(ぎれい)を示(しめ)していることがあるので、之(これ)を訊(ただ)してみると、彼等(かれら)は異口同音(いくどうおん)に、一般(いっぱん)の風習(ふうしゅう)であり、政策上必要(せいさくじょうひつよう)のことであるからとか、 或(あるい)は自己(じこ)又(また)は関係者(かんけいしゃ)の気持(きもち)を満足(まんぞく)さす為(ため)の精神的礼儀(せいしんてきれいぎ)である等(など)と答(こた)えるのを常(つね)とする。

斯(か)かる者(もの)自身(じしん)の人生観(じんせいかん)は、固(もと)より死後(しご)の生命(せいめい)を知(し)らず、霊魂(れいこん)の不滅(ふめつ)を信(しん)ぜず、神霊(しんれい)の加護(かご)を求(もと)むることもないから極(きわ)めて暗澹模糊(あんたんもこ)たる所(ところ)に迷徊(めいかい)し、断(だん)じて真(しん)の信仰心(しんこうしん)など理解出来(りかいでき)るものではない。

道祖・解脱金剛尊者『真行』の「神霊の認識」より、先月に引き続く後半部分となります。

ここに来て道祖は、神霊の実在への認識がないものに対して「神威を阻む天津罪の犯人として鉄槌を加えねばならぬ」など、非常に激しい言葉で弾劾されています。実はこの箇所については、様々な資料や当時の時代背景を鑑みて、当時の「軍部批判」という意味があったことは明らかです。

この『真行』が発刊されたのが昭和17年5月5日。前年末に大東亜戦争が勃発したばかりで、国民はただひたすら戦勝ムードに熱狂していました。しかし道祖は冷徹に時代の行く末を見定め、形ばかりの慰霊や、政治家や軍部の一部が神々や御皇室を真に崇敬することなく、人心を掌握する手立てとして都合のよい扱いをされていることに対し、強い口調で一喝し、人心の目覚めを促しているわけです。

もちろんそのような背景を汲まずとも、この一文を素直に読み、自己の祈りが形ばかりのもの、単なる儀礼宗教に陥ってはいないかと自省、反省することは決して間違いではなく、むしろ今の時勢だからこそ大切なことです。

私自身、この御文章を拝読して思い浮かぶのが、ちょうど東日本大震災の前年、平成22年の11月末、故仲田順和門跡猊下(当時)の随行としてスイスへ赴いた時のことです。

ジュネーブから2時間半ほど車で行った山間(やまあい)の地にあるオートリーブ修道院。そこは男性のみのカソリック修道院で、40名ほどの修道僧の方が自給自足の生活をしながら修行の日々を過ごされていました。

彼らは毎日、何時間も石畳の上にじかに座り、膝立ちで祈りを捧げます。それを7年間、そして最終的に天からのお言葉、福音を頂戴することがなければ修行は完成しないのだと言います。私も若かりし頃、醍醐の伝法学院でみ仏に仕えるべく修行を重ねた日々を過ごしましたが、そのオートリーブ修道院の厳しさ、そして修道僧の方々の澄んだ瞳、醸し出される清らかなエネルギーに、心洗われる思いがしたのを今でも覚えています。

もちろん私どもは在家の信仰者であり、会員の皆様がそのような特別な修行を積むことはありませんが、「神霊の実在」を認識するとは、このような厳格な法が源にあることを決して忘れてはなりません。

と同時に、私どもには道祖がお残しになられた「生活行」 ―― 日々の生活こそが修行の場であると捉え、そこで得た悟りにより人格完成・霊格向上の道を進む。その意味合い、その尊さを、果たして私どもはどれだけ自覚できているだろうかと私自身、自戒の念を込めて思いを新たにしました。

いま世間では、「宗教」というものに対し厳しい視線を向ける風潮がまかり通っています。もちろんそれは多分に誤解と偏見に満ちた側面があることは否めませんが、同時に、道祖のおっしゃる「神霊の実在」を認識する本物の宗教と、そうではない「伽藍(がらん)宗教」とが「ふるい」にかけられているという、時代の必然的な流れがあると私は確信しております。そのような意味で、今こそ「真行」の道を未来へと切り拓くべく、お互い様にさらなる精進をしていくことを誓う次第です。

私どもかむながらのみちは、顕幽一如の精神に基づき、この世とあの世の和合と平安を根底から創り出すための祈りと学びがあります。

今月は理趣三昧供養も厳修されます。彼岸とは、この世とあの世が最も結ばれる時節であり、ご縁ある御霊にふれる大切な機会でもあります。

どうかそのような多くの機会を通して、人心救済・世相善導の道を歩んでまいりましょう。

-会長からのメッセージ

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