教主からのメッセージ

歓天喜地(かんてん きち)

今年も早や三月、厳しかった冬も終わり、あたたかな春を迎えようとしております。季節の移ろいと共に、世の中の景色も変わってまいります。同じ春でも昨年の春と今年は違うように、この世のすべてに常なるものはありません。

昨年三月、私たちは未曾有の事態に直面し、驚き、恐れ、慌てふためき、為すすべをほとんど知りませんでした。ましてや、このような事態がここまで長期にわたることを想像する勇気すら、持ち合わせていませんでした。

そしてこの三月、確かにワクチン投与などの対策は始まっておりますが、このコロナは決してこの世から消え去ってしまうものではないのだということ。むしろ私たちのライフスタイルそのものが根本的な変革を余儀なくされているのだということが、ようやく人々の共通の認識、覚悟になってきたのではないかと思います。

人はせめて世の変革の様な非常重大の時機に魂の覚醒を得ねば遂に其の機を永久に逸するに至るであろう。

道祖が『真行』でおっしゃられているこのお言葉を、今一度深く胸に刻み込みましょう。今年のかむながらのみちのテーマと併せて、会員の皆様におかれましては本年、常に肌身離さず身につけていかれていただきたいお言葉です。

では、この魂の覚醒をもたらす根本的なものは何か。それは「希望」だと、私は思うのです。

われらの生活に意義と価値とを与うるものはすなわち高遠の理想である。恒久の目的である。われらは神仏なる宇宙的英雄、宇宙的実在に満腔の信念と崇拝をささげて、神と目的を同じうし、理想を同じうし、同感を同じうしてその境地に入るもの、これすなわち神人合一の理である。

理想、願い、希望があるからこそ、人は生きていられます。逆に、理想や信念の無い生き方がもたらすのは、自暴自棄の生活のみならず、他人をも巻き込み世の滅亡を招く生活ともなるのです。

道祖はご生前、正月二日には必ず「書き初め」をされて、それを集った会員へお渡しされていたそうです。ある年の初めに、道祖は「歓天喜地(ち)」とお書きになられ、一同の前で次のようなお話をされました。

「今年は歓天喜地の有難い年である。皆さんもそれをよく心がけなければならない。そして天も歓び地も喜ぶように努力させていただくのである。天は神であり地は人である。ゆえに、神も人も喜ぶことを一心にさせていただくのである。神人とも喜ぶことをさせていただけば、やがては自分も喜べるようになるのである。人の喜びはわが喜びとなる真理を忘れぬように、人のため、世のために努力すれば、必ず歓天喜地、幸せの日々を送ることができる。皆さん、今年こそは心を切りかえて、世の中の範となって欲しい」

そのようなお言葉を賜り、道祖のお書きになったこの「歓天喜地」をいただいた一同は、希望にあふれた心持ちで新年を迎えられたとのことです。
皆さまご存知のように、道祖が生きておられた時代は大東亜戦争の前後にわたる、まさに「世の変革の様な非常重大の時機」です。その時、道祖は何より人として生きる理想、信念を根底に据え世の中を導けとおっしゃられたのです。

もちろん今は時代も状況も異なりますが、「世の変革の様な非常重大な時期」であることは、やはり変わりありません。であるならば、私たち信仰者の務めるべき使命は、まず自分自身が理想と信念を根底に据え、日々を歩み、そして世の中の人たちに向かって、確信に満ちた言葉で「希望」を伝え続けることではないでしょうか。

あえて言うまでもないことですが、ワクチンや三密回避は「希望」ではありません。それは、あくまで人としての知恵であり、対応であり、情報に過ぎません。いくらワクチンの効能や、コロナ対策を声高に叫んだからとて、それは人が生きる根底を支えてはくれません。逆に、そのようなことに過度に敏感になり、生きる気力すらなくなってしまっている人も多くなっているのではないでしょうか。

「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」とは『新約聖書』マタイ伝の言葉ですが、これは何もパンがなくても信仰さえあれば生きられる、というような現実離れした教えではありません。神のお言葉――理想、信念が無ければ、人はパン一つも作れないほど非力なものであることを自覚せよという、人が生きる上での根源を見据えた真実のみ教えなのです。

信仰とは、パンを作ることが目的ではありません。人々の心の中に理想を、希望の種を植え付けること。その結果、豊かな社会がもたらされること――それこそが、信仰が持つ真実の力なのです。

おそらく世の人々は、このままではいけないと悟りつつも、ではどうやって生きていったらよいのか、これから何を指針にして生活していけばよいのか、生きる希望はどこにあるのか――そのような不安や疑念はまだまだ続くことと思います。

だからこそ私たち信仰者は率先して、世のすべての人々の「善き友」であることを目指すべきなのです。世の人々とふれあい、語り合い、分かち合い、今のこの人類が直面している事態にどのような意味・意図があるのか。私たちの生きる意味や価値、理想が、いったいどこにあるのか。そのようなことを、お互いのふれあいの中から育んでいっていただきたいのです。

そのような意味で、来月から名古屋会場が主催となっていただき、北川理事長によるWeb講演会が始まることも、まさにこのような時勢だからこそ必要とされ、また必然とされていることだと思っております。

そこでは今のこの世の中に与えられている神仏からの願い、意図、そして私たち人類が目覚めるべき使命、生きる真の意味、そして希望が語られることと思います。会員の皆さまにおかれましては、このような機会を用いて、どうか多くの方と共に理想を、今このような時だからこそ持てる希望と生きる意義を分かち合っていただきたいと願っております。

かむながらのみちとは、神と共に生きる道です。神と理想を同じくし、心の底から湧きあふれる希望を抱きながら進む道です。

最後に、道祖の『ご聖訓』から、私どものみ教えの根幹とも申すべき一節を引かせていただき、今月の「みさとし」とさせていただきます。

 我吾は無限絶大なる犯罪遺伝せると同時に、又、無限なる処の恩恵を授与て居るのでありますから、無限なる処の恩恵を与えられるが儘に、更にその恩恵の有難き味をも不知不知の間に過ぎ去って居るのであります。その与えられたる恩恵与徳の有難き味を感じたなれば、その報恩を如何にすべきかという事であります。それは一口に申上げれば、現在より能き社会を造れという大神御心の御指命であります。
然らばその方法如何にすべきかと云うなれば、自己自身正しき精心に立て直すのであります。立て直す方法は何かとなれば、家庭伝道を第一に一家を正しき道に歩ましむるのであり、而してそれを拡大以て一村、町、郡、県、一国を挙て真に共栄共存の実を結ばしめ、美禄の御世、人生の棲よき国家をなさしむると同時に、我吾各自が祖先以来の遺伝する処の肉体及び精神を如何に向上すべきかであります。更に前述の如き点、祖先代々の徳不徳は過去のその犯罪凡てを一切知覚解脱して、霊光即ち新しき光明の国家に邁進すべきであります。

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