会長からのメッセージ

法は人なり

8月の盂蘭盆会法要、怨親平等大供養を終え、この9月のお彼岸を迎えますと、本会では秋の理趣三昧供養が執行されます。私は、この8・9月を「回向(えこう)月」として、常にも増して御霊への深い想いと祈りをもって日々を過ごすことを念頭に置いております。

さて、この供養の意義・意味については再三、皆様にお伝えしておりますが、あらためてここに記す次第です。

理趣三昧供養は、密教の根本経典である『般若理趣経(はんにゃりしゅきょう)』のもと、秘密深遠なる霊界交流の法を用い、人類発生の源にまでさかのぼり、大祖元以来有縁無縁一切の御霊を浄化供養し尽くして余すところのない尊い供養です。

会員諸子がお申込みされた御霊については、密教最勝陀羅尼(さいしょうだらに)とされる「一切心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼(いっさいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらに)」が梵字(ぼんじ)で記された霊符でおさめ、霊格を高め御霊が子孫を正しく守護するはたらきをされるよう導かれます。

本会では、この間、金剛山成就院において得度者をはじめ多くの会員が参集し、計14座にわたる前行執行の後、彼岸中日の感謝日に本供養が厳修されます。また、身曾岐神社においては神仏和合のみ教えに則り中臣御祓による御霊の浄めと鎮魂行が執り行なわれます。この神仏両道による尊い法が私どもの理趣三昧供養であり、宗教界広しといえど、おそらく唯一無二のものであると自負しております。会員の皆様におかれましては、自身が申込まれた御霊はもちろん、戦争や災害で亡くなられたすべての御霊に対して真摯に向き合い、顕幽一如の精神に基づくこの行を共にしていただくことを切に願います。

また、この度、本会教務部が「理趣三昧供養の真実神仏両道がもたらす究極の先祖供養と利他行の教え」という動画を作成し、ホームページ上で公開しております( 会員のみ閲覧可) 。皆様におかれましては、是非ご覧いただき、このご供養の意義、背景、そしてなぜ私どもがこの法を本会の根幹として位置づけ、皆様へとお勧めしているのか、その想いをご理解いただければと思います。

さらに付言しますと、この彼岸は「彼(か)の岸」、すなわち現世、この世である「此岸(しがん)」から、あの世「彼岸」へと渡るための大切な時期として、各家の墓参供養も大切にしていただきたい。

お盆が御霊をそれぞれの家に迎え入れる行事であるのに対し、このお彼岸は、私たち自身が御霊へと会いに行く―― すなわち、お墓参りやこの理趣三昧供養への参座など、「足運び」が肝心となるのです。

特にこのところ皆様から寄せられるご相談の中で多いのが、お墓に関することです。跡取りが絶えて誰も参る人がいない、遠地である故郷にはもう親族がいなくなりお墓を移したい等々……

そういった事情もあり世の中では、海や山への散骨を行ない、お墓を持たないという選択をされている方が増えております。まして都会ともなると、従来の形式の「お墓」を建てる場合、遺族の負担も並々ならぬものとなることから、亡くなった方のご遺志ばかりでなく、子孫の者たちの都合で、このような状況になっていることも多いと伺っております。

もちろん、最終的にお骨を含め肉体は大自然へと還るものであり、散骨自体を否定するものではありません。ですが、遺された者にとって、たとえそれが単体のお墓でなく、供養塔や納骨堂といった形であっても、やはり祈る「よすが」となるものが無いというのは心細いものです。

「人間は二度死ぬ」と言われております。1度目は、文字通りこの世で死を迎えた瞬間。そして2度目は、子孫から忘れ去られた時です。親、先祖を思い、そのおかげさまを思い、日々を生かさせていただく心が、この世のお墓事情により失われていくとしたら、やはりそれは本末転倒であると言わざるを得ません。

ですから、もし廃墓、あるいはお墓の移転等をお考えになられた際は、是非私どもにご相談ください。それぞれのご家庭の事情もあるかと思いますが、何より優先されなければならないのは、亡くなった御霊の想いです。

亡くなったご本人―― 御霊にとっては、やはり幽界から霊界を経て、次の生へと生まれ変わる間は、あの世での修行というものが欠かせません。その意味において、何より御霊自身が鎮まり、来世への準備を整えていく「場」が必要であると、私たち信仰者としては切に訴えたいのです。

本会では、有難くも南葉山霊園内に「かむながらのみち納骨供養塔」を建立し、ご縁ある皆様が向こうの世界でも安らかに、滞りなく御霊の修行を成し遂げるための場を頂戴しております。

そしてご周知の通り、本年6月10日に亡き慈敬心院様のご遺骨が納められた瞬間、納骨供養塔そのものが燦然(さんぜん)と輝き、前会⾧・和光心院様と共に、あの世でもご法縁深い皆様と集い、共に精進させていただける場を整えられていることがはっきりと感得され、私自身、胸打ち震える思いでした。

この供養塔に祀られる御霊については、日々の成就院でのご供養、さらに和光心院様のご命日である6月10日には追善法要が全国会員の皆様と共に厳修されます。皆様方におかれましては、そのような意味で、顕幽共にみ教えの中で生きていくことのできる、このかむながらのみち会員としての道を歩んでいけることの尊さを、この機会にしっかりと胸に刻んでいただきたく存じます。

また、私どもの神道におけるご法脈の祖であります身曾岐神社におきましては、先月3日に宵宮(よいみや)である薪能、そして翌4日には例大祭が無事執行されました。

昨年の悪天候と比較するわけではありませんが、実に穏やかで、そして何もかもが整ったという感のある、すばらしい大祭となりました。

特に例大祭においては、真夏の太陽のもとではありましたが、すずやかな風が終始、まるで一同を祓い清めるかのように吹きわたり、私の脳裏には「良きかな良きかな葉月(はづき)の風薫(ふうくん)大河の流れ」というメッセージがあふれ、神様がことのほかお歓びになられていることを、文字通り肌で実感するひと時となりました。

4月7日に慈敬心院様が示寂されてから、御葬儀、御法要、追悼セレモニーと、御霊を霊界へとお送りする儀を滞りなく務めて参りました。そして、ここからは、あらためて「かむながらのみちリスタート」、慈敬心院様がお遺しになられた想い、願いを胸に、その報恩行に脇目もふらず邁進する時となったのです。

幸いにも、道場、供養塔、そして祈りと学びのシステムは整って参りました。但し、いくら「形」が整っても、肝心なのは、そこに集う人そのものです。法は人なり。これからは物作りではなく、「人創り」が最重要課題です。

先月16日、慈敬学院上級編・指導者育成研修会のセッション1が行なわれ、全国より22名の有志が集い、これから本会の中軸を担う「人財」となるための学びが始まりました。

この上級編開始に際し、特に嬉しかったのは、正副会場主の皆様はもちろん、幹事の方、あるいはそのようなお役を持っていない方からも、研修参加のご意思を頂戴したことです。

もちろん、研修自体はかなりレベルの高いものであり、全員が「指導者」になれるとは限りませんが、何より自身の成⾧を通して本会を支えていきたいという「心」があること、それ自体が、私どもにとってかけがえのない宝物なのです。

どうか、会員の皆様におかれましては、1日1日を決して無駄にせず、1歩でも、1ミリでも前へと進み続けることを心に置いていただきたい。信仰とは、難しい理論、理屈ではなく、自身を常に向上させる心が、世の人々の平安、世界の平和へとつながるという信念、確信そのものなのです。

最後になりましたが、この度の令和8年熊本地震発生に際し、その犠牲となり亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げると共に、いまだ被災地でご苦労を重ねられている皆様にお見舞いを申し上げます。

本会としては、いち早い支援を目的に、金銭的な援助より先に飲料水・日用品などの物資を現地へ届けることを最優先とした活動をさせていただきました。その際、三男・大原成敬の養子先である真言宗大原山不動院を始め、本山醍醐寺の皆様には大変お世話になりましたこと、誌面を借りて厚く御礼申し上げる次第です。

今回の震災については、私自身、見えない世界から様々なメッセージを頂戴しております。詳細については、本誌感謝祭号にてあらためてお伝えさせていただく所存です。

いずれにせよ、世の中が大きく変わり始めていることを強く実感しております。その際、まず何より大切なのが祈りの結集です。来月11・12日は、かむながらのみち感謝祭が本部において執行されます。本年の感謝祭は例年以上に節目となる大切な機会です。また、午後の第2部は「感謝のつどい」として、全国会員が「主役」となって創り出す時間となります。

混迷を深める今だからこそ、み教えの根幹に立ち返り、祈り、祈り、また祈る。その不退転の決意を共に固めさせていただく。そのような感謝祭にしていきたいと思います。

合掌禮拝

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