教主からのメッセージ

大願を立てる

あけましておめでとうございます。
令和二年の初春、まさに「新時代の幕開け」を、大勢の皆さまと共に迎えられますこと、まことに嬉しく有難く思います。

この一生に何度とない新たな時代の年頭において、皆さまは何を神仏の御前でご祈願なされましたでしょうか。

それぞれのご家庭のこと、お仕事のこと、健康のこと、いろいろ個人的な「願い」があるかと思います。どうかそれらを決してないがしろにせず、むしろ真剣になって、まず個々人のことをしっかりと祈願されていただきたく思います。

自身の幸せ、家族の幸せが、地域の幸せ、国の幸せ、世界の幸せへと繋がる。その根幹であることを、高く広い意識を持ちながら、どうかしっかりと祈願されてください。信仰の情熱は、何より自分自身が心から「幸せだ」と感じられる、その思いから発せられるのです。

われらの生活に意義と価値とを与うるものはすなわち高遠の理想である。恒久の目的である。われらは神仏なる宇宙的英雄、宇宙的実在に満腔の信念と崇拝をささげて、神と目的を同じうし、理想を同じうし、同感を同じうしてその境地に入るもの、これすなわち神人合一の理である、神意同仁の秘訣である。
大いに欲張っていいんだよ。ただ私利私欲であってはならない。人の為、世の為に大いに欲張ることだよ。

このような道祖のお言葉を胸に、大いなる願い「大願」を持つことです。信仰は道徳ではありません。神仏という不可思議にして絶対の力にふれ、自身の人生を根底から変革するためにこそあります。その基は、まず「祈り願う」ことです。ただ、その願う時の心持ちに、様々な学びがあるわけです。

私の師である故岸田英山先生に、次のようなお言葉がございます。

宗教家でも、心に確固として正しい念願を持たない人は、人格円満にみえても、衆生済度(しゅじょうさいど)の気力がありません。会員として特に心すべきことはこの点にあるのです。おわびと供養に徹し、何ものも求めないのが解脱だと思ったらそれは大間違いです。そのような心境は小乗仏教徒のとる解脱道で、ただ自己一身のことのみしか考えない狭量な心境になるので、幸いにして自己の心身苦は除かれても、三綱五常報恩に示されているような、報じても報じ難しという心境で猛然と布教活動に努力しようという心境にはなれないのです。いわば、菩薩行にまで進めないということです。従って善根功徳というような徳積みがないので、その子孫にまで余徳を及ぼすことはできません。
  (岸田英山『誠 時世を担う人びとに』より)

これまで二十年間、このみ教えを多くの方へとお伝えし、共にこの道を歩んでいく中で様々な人生問題が解決し、日々の「幸せ」を実感されておられる方も日増しに多くなって参りました。

しかし、み教えに最初にご縁をいただいた感動、世相善導・人心救済の道にふれた歓びが薄れ、いつしか目的もなくただ何となく会場に通い、教えを聞き、我が家で祈ることが、いわゆる「慣れ」のようになってしまっていることはないでしょうか。

それでは、せっかく手にした幸せも、六凡のいう「天上界」のままで、何か事が起きればすぐ地獄へも修羅へも真っ逆さまに落ちる。先ほどの英山先生のお言葉をお借りすれば「善根功徳という徳積みがないので、その子孫にまで余徳を及ぼすことはできません」となることに、どうかもう一度思いを馳せていただきたいのです。

信仰は情熱です。感動です。自身の行のみで事足りていては、その真の感動や歓びは、やはり得られないのです。

皆さまが日々、お唱えされております「三綱五常報恩」、その全ての章句は「報じても報じ難し」で終わります。

いただいた御恩に対して、それに報いようとどれだけ努力しても、それで良しということはない。果てしのない努力、行ないに徹することが、人として生きる道である――そのような意味合いですが、これは人生の「希望」のお言葉です。

私たち人間は、愚かにも「良し」と思った時点で、既に後退を始めています。自分では現状維持だと思っていても、傍目から見ると気の毒なくらい退歩している状態をよく見かけます。

思えば、この人生でまだまだ成長の余地が授けられているということが、どれほどありがたいことか。そのためにわざわざ神仏は、この不完全な心身を私どもに与えてくださっているのです。

どうか皆さま、この真に新しき年頭に、それぞれの「大願」を立てていただきたく存じます。信仰の命は、心から願い、祈り、そして行ずることです。自身のこと、家族のこと、そして地域のこと、国のこと、世界のこと、それらすべてを大きく包む「大願」です。道祖がおっしゃられるように、大いに欲張っていただきたいのです。

このような大きく広い境地に生きることは、人生の歓びです。

それぞれが次の段階に進むべき時です。時代が大きく変わりゆく、その大きな流れに乗り、自他共に人生の段階、心の段階、信仰の段階を、さらに上へと昇って行く時が、今です。

昨年の二十周年記念祝賀会、そして各会場における布教イベントは、いずれも大成功をおさめ、今年はその実りから種を取り出し、大切に育んでいく年です。

それぞれの魂の種は、輝いていらっしゃるでしょうか。一粒万倍という言葉に示されているように、種はその置き所、育て方によって、何千倍、何万倍にもなります。その魂の種に水をやり、肥料をほどこし、育て導くのが祈りであり、学びです。

私自身、この命ある限り、祈りと学びを通して、さらに自己の魂を磨いていく所存です。

成長の道に終わりはありません。けれども、その歩み自体が歓びであり、生き甲斐となるよう、共に手を携えて参りましょう。

この一年、さらなる飛躍と精進を誓い、年頭のご挨拶とさせていただきます。

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