令和四年度感謝祭、洵におめでとうございます。
年頭に本年のテーマとして掲げました
「天意拝受 新時代への発動
和の国が導く 人類覚醒 人類昇華 人類聖化へ」
という言葉が、文字通り言(こと)霊(だま)となって、今この世界を根幹から突き動かしているように思います。
ウイズコロナ、ポストコロナを見据えた新しいライフスタイルの確立、果てしのない闘いの様相を帯び始めたロシア・ウクライナの戦争、世界大戦勃発の瀬戸際的状況、安倍晋三元首相の惨劇と、そこから派生した旧統一教会と政治家との癒着(ゆちゃく)のあぶり出し、エリザベス女王の御逝去……
世界は様々な局面で「新時代への発動」を始めています。もちろんそれは決して穏やかな道行きではありません。むしろ多くの人の痛み、悲しみ、嘆きを伴いつつ、まさに「産みの苦しみ」を経ながら、私たち人類を覚醒へと導こうとしています。
道祖解脱金剛尊者はご生前、常に時局を見据え、会合等のお勉強の際には、その時の社会情勢を必ず講話の中に取り入れ、会員が如何に社会の一員として、国民の一人として振る舞うべきかを説かれました。「国家を無視して宗教はあり得ぬ」と、世の中のことに目を背(そむ)け、宗門の繁栄のみに勤(いそし)しむ信仰を「伽藍宗教(がらんしゅうきょう)」と一蹴(いっしゅう)し、積極的に社会へ出よ、人を導け、人心救済・世相善導に邁進せよと再三再四、言葉に行動に表わされました。
私たちかむながらのみちは、その道祖の御精神、スピリッツを受け継ぐものとして、常に国家を、世界を見据え、時代の流れの行く先を読み取り、一人一人の生活を根底から変革する教えです。
さて、私は本誌先月号でお伝えしたように、京都・醍醐寺で十月三日より一週間にわたり厳修された太元帥大法(だいげんすいたいほう)の伴僧(ばんそう)十四口(くち)の一人として参籠致しました。この間、多くの会員が醍醐へと来山され、共に祈りを捧げました。この令和という時代を寿(ことほ)ぎ、今上陛下の玉体安穏と鎮護国家を祈り込む真言宗最大の秘法である太元帥大法。醍醐でも実に百五十年振り、まさに一世一代の尊き機会でありました。
その大法の無魔成満から間もない十月十五、十六日の二日間、私ども「かむながらのみち」感謝祭において、こちらは一千四百年の悠久の時を経て祈り継がれてきた『仁王(にんのう)護国(ごこく)般若(はんにゃ)波羅蜜多(はらみた)経法(きょうぼう)』を、この成就院本堂にて厳修できますこと。それにはどのような意味、意義があるのでしょう。
繰り返し皆様にお伝えしてきましたが、この仁王法は八一○年、時の嵯(さ)峨(が)天皇が朝廷内で起こった内紛により未曾有の国難に陥っている状況を救うべく、唐より帰国した弘法大師空海に鎮静の祈りをご依頼されたことに由来致します。空海はこれを受け『仁王経法』を厳修、不眠不休で祈り込み、内紛を収め、世は平安を取り戻したと歴史にあります。
そのご遺徳を継承し、法脈の祖山総本山醍醐寺では毎年二月、仁王会(にんのうえ)を修し、国家安泰のみならず民衆の祈りも加わり「五大力(ごだいりきりき)さん」の愛称と共に祈りが捧げ続けられております。私どもかむながらのみちでは平成25(2013)年より、この大法の厳修について仲田順和御門跡猊下より御許しを賜り、秋の感謝祭を機とし多くの職衆の方々が半年にわたり研鑽を重ねつつ、毎年熱呪熱祷を捧げ続けてきました。
そして奇しくも十年目にあたる本年、このような時代の大きな転換点の中、醍醐本山、そして私どもかむながらのみちにおいて天下泰平、国家安泰、萬民豊楽を祈る大法を厳修させていただくのです。これには並々ならぬ神仏からの願い、意図があると受け取らざるを得ません。
この佳き日に於いて、改めて会員諸士に断言致します。新時代は既に発動しています。ここで必要とされているのは、私たち自身の「発動」です。
大自然は正直です。天意が動けば、自然はその天意のまま薄情なまでに冷静に事を起こします。それに引き替え、私たち人間はみずから事を起こさない限り、決して天意に沿うことはありません。天意に沿うことの無い存在は、この宇宙では常に淘汰されるばかりです。
だからこそ「覚醒」なのです。真の覚醒に必要なものは発心(ほっしん)であり、行動です。菩薩行(ぼさつぎょう)です。決して他の力ではありません。みずからが源となり、世の中を導いていくのだという強い決意と行動が私たち自身の、そして人類そのものの「覚醒」を促します。
おそらく神は、私たち人類に覚醒という機会を与え、みずからの生き方を選択させることによって、天意に沿うだけでなく、むしろその天意を体現し、神になり代わり自然万物を主体的に動かすお役目を担わされたのでしょう。
その神仏の意を全人類の先駆けとして身に体し、みずからの生活の中で祈り、行なうのが在家宗教です。その源は遠く奈良の御代に於いて役行者(えんのぎょうじゃ)・神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)によって確立された日本オリジナルの信仰形態である修験道。その根本精神は「上求(じょうぐ)菩提(ぼだい)」「下化(げけ)衆生(しゅじょう)」、入りて学び、出でて行なう。山に入って修行をして法力を身につけ、里に下りてその得た力を用いて世の人々を救う。それこそが在家宗教の精神そのものであります。
いみじくも先月、この修験の流れを汲む醍醐三宝院において、中野孝彦・名古屋第二会場主、野嶋浩幸・富山会場主、和田妙純・奈良会場主の三名の方が恵印伝法灌頂(えいんでんぽうかんじょう)を無魔成満されました。在家としての職務、家庭を営みながら、二年以上にわたる行を続けられた、その強い志と信念に深く敬意を表する次第です。
もちろん今の時代、深山(しんざん)渓谷(けいこく)で修行することは容易に叶いませんが、在家とはこの生活そのものが修行であり、各々の心を磨く道場です。道祖も「畳の上の十界修行」というお言葉を残しておられます。神道、仏教、どちらにも偏らず、むしろすべての「和合」を目指す修験道、その法脈、血脈の流れの中に私ども「かむながらのみち」があるということを、どうか今一度、会員諸士は深く認識されたいと思います。
さらにここで付言すべきは、先月もお伝えしたカルトと宗教の違いです。戦前戦中の「国家神道」の愚挙を繰り返すまいと、戦後日本はあまりにも「宗教否定」へと走り過ぎました。その結果、世界中で日本人ほど宗教無知・無視の国民はいなくなりました。
政治、教育の世界で「宗教」はタブー視され、信仰を持っていることが何かやましいことでもしているかのように見なされる異常な事態。その結果が何をもたらしたのか。「カルト」の横行です。
宗教とカルトは根本的に異なるものです。宗教は見えない世界、神仏を畏れ敬い、その意を受け、全人類の平和と共存、「和合」を目指します。カルトは神仏の名をかたった「教祖」を絶対視し、その教祖のエゴを実現するための闘いをも否みません。
冷静に見れば誰にでも分かる当たり前のことですが、戦後日本があまりにも偏った教育をしてきた結果、宗教もカルトも十把一絡(じっぱひとから)げに見てしまう何ともお粗末な国民性を作り上げてしまいました。その結果、表面では政教分離を謳いつつ、その裏ではカルトであろうと何であろうとおかまいなく、ただ利害の一致のみで繋がる政治家を生みだしたのです。
しかし、そのような政治家をここぞとばかりに糾弾するマスコミや大衆も考えものです。政治家のレベルは、ひとえにその時の国民のレベルそのものです。本物の宗教とカルトを見分けもせず、まるで臭いものに蓋をするかのように「信仰」を貶(おとし)めてきた結果です。だからこそ今、私たち一人一人が浄化、そして覚醒をしていくしかないのです。
日本人は古来より「祭政一致」を政(まつりごと)の根本としてきました。私が常にお伝えしておりますように、安倍元首相が亡くなられた場所は奈良・橿原の地、ここは初代天皇である神武天皇の御陵がある地です。祭政一致を旨とし、我が国が発祥した源の地です。その原点に立ち返れというメッセージ以外の何ものでもありません。しかし、だからといって単純に政治の世界へ宗教を持ち込めという話では全くありません。
祭政一致というたからとて、徒らに御祭り騒ぎをして、政治を執るのではなく神を祭る心、正しき美しい公平無私な精神を以て、政治を執るならば、必ずや正しき善政が行われる意であり、国民全体が、常々神を祭るような正しき清い心を以て、自己の職分を尽したならば、国家は期せずして安泰となり、社会は平和となる。
道祖のこのお言葉の通りです。それぞれがそれぞれのご縁でよいのです。しっかりと信仰――ここでいう「信仰」とは、見えない世界、神仏、ご先祖といった世界に対し、人間として当たり前の敬意と礼節を持つ。その心で日々を生きる。何ものも否定せず、怨親平等の心で全てを受け止め、全人類の和合を目指す――まさに、私ども「かむながらのみち」のみ教えそのものです。
会員諸士が今、菩薩道に邁進されているのは、何よりこの生き方を世に知らしめるためです。皆様は先駆者です。神仏は私どもの会を使い、試されていると言ってよいでしょう。人々が真に覚醒の道に進むのか。それとも滅びの道を転げ落ちるのか。その試金石として私どもの会の動向を今、神仏は見定めておられるのです。
成就院の隣接地では和敬館の建設が進み、年明けにはこの本部道場も幕を閉じ、新たな施設への着工が始まります。しかし、いくら新しく立派な施設を建てても、そこに魂が入らなければ単なる「伽藍堂(がらんどう)」です。この新施設は、私どもの会の根幹である在家宗教、神仏和合の精神を発信する源となる聖地です。だからこそ「誰かがやる」のではなく、全国会員が一丸となり、みずからの思いと行動で「建てさせていただくのだ」という決意、発心が必須なのです。
奈良天平の御代、時の聖武天皇は天然痘の拡大に心を痛め、大仏建立を発願されました。その時、全国民に向かって発せられた詔(みことのり)は次のようなものでした。
衆生救済・仏法興隆の大願をたてて廬舎那(るしゃな)大仏(だいぶつ)の金銅像一体を造ることにする。国中の銅を尽くして像を鋳造(ちゅうぞう)し,大山から木を伐り出して仏殿を建て、広く世界中にひろめて仏道成就の同志としてともに仏恩にあずかり悟りを開きたいと思う。天下の富と権威をあわせ持つ者は私である。この富と権威とをもってすれば尊像を造ることは困難ではないであろうが、それでは発願の趣旨にそわない。かえって無益な労働に酷使するだけになり仏のありがたさを感じず、またお互い中傷しあって罪人を生ずるようなことも恐れる。もし一枝の草や一握りの土でも持ちよって造像に協力を願い出る者があれば受け入れよ。国郡の役人はこの造立事業にことよせて人民の生活を乱し無理な税を取り立ててはならない。全国遠近にこの旨を布告して私の気持ちを知らせるようにせよ」 (続日本紀より意訳・抜粋)
まさに、このご精神、このみ心です。
世の中は大転換、まさに新時代への発動が始まっております。来年は大いなる飛躍、そして試練の年となることでしょう。そのような中、私どもに与えられたお役目の意義、意味は益々高まるばかりです。
かむながらのみちとは、神と共にある道です。
神仏がこの世に実現せんとする世界を、世の先駆けとなり道を開き、歩みを進め、歓びと確信を多くの人と分かち合う道です。
世界人類の真の覚醒と平安を心から祈り、これから更に精進してまいりましょう。
合掌禮拝