会長からのメッセージ

神仏からの命題

今年は猛暑と共にコロナ禍第七波への対応に追われる夏となりました。しかし世間では以前より冷静な対処を施しつつ日常生活を取り戻していこうという流れがあったように思います。「ウイズコロナ」「ポストコロナ」という言葉がいよいよ現実味を帯びてきました。

もっとも日本は諸外国に比べ感染症への対策が大袈裟過ぎるという批判もありますが、やはり感染しないに越したことはありません。むしろ浄め・浄化を是とする日本人ならではの感性を活かし、新型コロナへの対応に限らず「清らかな」ライフスタイルというものを様々な場面で諸外国に向けアピールするくらいの気構えがほしいものです。

さて、今月は秋の理趣三昧供養として金剛山成就院にて前行十四座、本法要一座、さらに身曾岐神社において中臣祓二十五座を修し、会員各位が供養願う諸霊に対する浄化供養の行が厳修されます。

その理趣三昧供養を終えた翌月、十月三日から一週間、私は京都・真言宗醍醐派総本山醍醐寺に参籠し、太元帥大法(だいげんすいたいほう)における伴僧(ばんそう)十四口の一人として参座させていただくお役目を拝命致しました。

この法要は、平成から令和へと代替わりされた今上陛下の御即位を祝し玉体安穏・鎮護国家を祈願するものでありますが、おそらく多くの方々がこの大元帥法について未知のことと存じます。良い機会ですので、醍醐本山から頂戴した文章をここに抄録し会員諸士の御理解を促す次第です。

◆太元帥法とは

太元帥大法は、仁壽(にんじゅ)二年(八五二)より毎年正月八日開白し、十七日間、宮中(後には醍醐理性院(りしょういん))に於いて太元帥明王を本尊とし修する、宮中の真言院(現在は教王護国寺(きょうおうごこくじ))で行われる後七日御修法(ごしちにちみしほ)と双璧をなす大法である。この法は真言密教の秘法である儀軌(ぎき)や経典、陀羅尼経(だらにきょう)等を所依として、鎮護国家の為に修する最大秘法である。

令和四年十月に天皇御即位にあたり醍醐寺において塔頭(たっちゅう)・理性院に伝承される故事にならい太元帥の大法を厳修する。

太元法を我が国に請来(しょうらい)したのは、小栗栖(おぐるす)法琳寺(ほうりんじ)の常暁(じょうしょう)と伝えられる。常暁は奈良の秋篠(あきしの)にて修行し、若き日供養の閼伽水(あかすい)を汲む時に井戸の水底に忿怒形(ふんぬぎょう)六面(ろくめん)八臂(はっぴ)の鬼神(きしん)影現(ようげん)し可畏(かい)の形を見る。承和(しょうわ)五年(平安初期・八三八)に入唐(にゅうとう)し太元法を習学した。承和六年(八三九)帰国して、太元法請来の旨を朝廷に報告。仁壽元年(八五一)、毎年正月宮中内(だい)裏(り)に於いて十五人の僧侶により弘法大師空海が始められた真言院(しんごんいん)後七日(ごしちにち)御修法(みしほ)の例にならい、この法要を修行することを奏上し、朝廷より「正月永く修すべき国典(こくてん)」と定められた。

その後、毎年小栗栖法琳寺別当がこの法を修して来たが、後白河天皇の時に法琳寺が廃寺となり、小野の良雅(りょうが)が代わりに大元帥法を修した。室町以降は、醍醐理性院にて修することとなり、明治四年(一八七一)まで連綿と毎年執り行われ伝承されてきた。  

明治維新により中断されたこの大法は、大正四年(一九一五)、昭和三年(一九二八)に天皇陛下御即位の時に修された記録が残る。醍醐寺は、大元帥法を天皇陛下即位時に国の安寧を祈り行う大法として、平成の御即位の時に真言宗各山会(かくざんかい)に太元帥御修法(ごしゅうほう)を提言するも当時の世情により各山会では後七日御修法を以ってこれに替えるとし、太元帥法は修されなかった。

この度の令和の太元帥大法は、醍醐寺理性院流を伝承する醍醐寺座主(ざす)・三宝院(さんぽういん)門跡(もんぜき)が大阿闍梨(だいあじゃり)を勤め、伴僧十四口にて執行する。本来、太元大法は鏡を用いた秘密の法のほか、後七日御修法に双璧をなす大法なので天皇陛下の御衣(ぎょい)を御加持(ごかじ)する法である。

醍醐寺に伝承される国宝「醍醐寺(だいごじ)文書(もんじょ)聖教(しょうぎょう)」(以下、醍醐寺文書)には「御撫物(みなでもの)」と記されている。御撫物とは、密教大辞典には「天子御願(ごがん)の御祈祷には箱に御衣の単衣(ひとえ)を盛り、朱縄を持って箱を結び、蔵人(くろうど)を勅使として祈祷の阿闍梨に付属し、結願の後、帝(みかど)これを身に召(め)させ給う。後七日御修法に於ける御衣の如し。これを以って玉體(ぎょくたい)に擬(ぎ)するなり」とあり、御衣は御撫物として御加持・祈祷するものである。今回の令和の大法では、醍醐寺文書の故事に沿った大法を修し、世の安寧、世界の平和を祈ると共に、故事を次代にしっかりと伝承することを努める。

――太元帥法の概要は右記の如しですが、一読してお分かりいただけるように、この法は醍醐寺一山のみならず真言宗全体で維持継承してきた実に尊い秘法です。しかし文章の中にありましたように、昭和天皇御崩御(ごほうぎょ)の際は「当時の世情」により修することが叶いませんでした。
当時を体験された方はご記憶にあることと思いますが、昭和天皇陛下の御容体急変以降、極左暴力集団等が「国家葬は天皇制強化のための最大のセレモニーである」と位置付け、爆弾テロなど様々な事件を起こしていました。

さらにその矛先は有名神社仏閣にも向けられ、爆破予告がなされたり、実際に消化器爆弾を用いた東郷神社爆破事件が起こるなど、宗教界も戦々恐々としていたことはあまり知られていません。

そのような理由により、平成天皇御即位の折、この大法を修することは叶いませんでした。しかしこの令和という時代、世情が混沌としたこの時代だからこそ、「永く修すべき国典」(典とはこの場合、法であり拠り所という意)として厳修することを決断された仲田順和(なかたじゅんな)御門跡猊下の御鋭意には心底からの嘆賞を禁じ得ません。

しかも本来、この太元帥法は真言密教の中でも最奥の秘儀として固く門外への流出を止められていたものですが、この令和の大法厳修にあたっては一般者の参拝を許可し、法要終了後も道場の荘厳をそのままに「後拝み」の期間を設ける等、広く一般民衆に向けて開かれた態勢で執行する旨を伺っております。

これは私がこのところ全国講演会で述べ伝えております、世の中の大変革の際、宗教も「中央から大衆へ」「権威から民衆へ」開かれたものとなる、まさにその動きと一致する流れとして、私は深い感動の思いで受け止めさせていただいております。

詳細につきましては後日、あらためて皆様へ通知をさせていただきますが、宗教そのもののあり方が問われている激動の時代の中、本来であれば一生かけても決して巡り会えることのないこの尊き機会を会員諸士が肌で感じられることを強く望む次第です。

さて、この太元帥法について、もう一つ皆様にお伝えしたいことがございます。これは先の説明文では掲載されることのない、醍醐寺に伝えられてきた逸話です。

昭和十六年、先の大東亜戦争勃発の折、日本は挙国一致体制を取り、軍部が先導となりありとあらゆる言論・思想を統制、その中で全国の神社・仏閣にも戦勝祈願の祈りが課せられました。

そして醍醐寺にも当局から「戦勝祈願のため太元帥法を修するように」と依頼があったそうです。というのも、この太元帥法は「外敵(がいてき)調伏(ちょうぶく)」の法として知られており、現にそのような向きで書かれている解説書なども世間では散見されております。

しかし当時の醍醐寺は、それをはっきりとお断りしたそうです。理由は、この太元帥法は決して敵を調伏するなどという法ではない。もちろんその力もあるが、それが目的ではない。敵味方の因縁を超え、人々の中にある争いの種をこそ「調伏」し、すべての人々が平等に無魔息災、国家安泰であることを願う秘法がこの太元帥法である、というのが本山の譲れない主張・信念でした。

これはまさに私どものいう「怨親平等」の精神そのもの。そして今、まさにこの怨親平等の精神と祈りを全国で説き広めているさなか、法脈の祖山である醍醐において、この令和という時代を祝し、平和と繁栄を願う太元帥法が執行されることに、あらためて私ども「かむながらのみち」という会が神仏より託された命題の重さ・責務の尊さを実感せざるを得ません。

私は、本年五月より始まった全国布教イベントにおいて、各会場の皆様が心を一つにして創り上げておられる姿を見る度に、人と人との心のふれ合い、コロナ禍で薄れてしまった繋がりが今ここにある。会員の皆様お一人お一人の思い・息吹が結集し、様々なご苦労を超えて得られた達成感、満足感、そして神仏にお使いいただいたという歓びは、まさに菩薩道そのものであるとの思いを新たにしております。

思えば道祖・解脱金剛尊者は、大東亜戦争が終結した後の混乱期において、会員に向けトコロテンなどを人々に無償で奉仕する配食活動をするようにと指導されました。その意を受けた会員は、何日も徹夜でその準備を進められたそうです。

もろちん当時は自身の生活もままならない中であり、そのご苦労は決して生半可なものではありません。しかし当日、たった一杯のトコロテンのために何百人もの長い行列ができ、まるでお宝でも頂戴するかのようにトコロテンをいただき、「ありがとう」と満面の笑みで食する人々の姿を見た会員一同は、自身の飢えや疲れなど吹き飛んだそうです。そして道祖がこの配食活動を指導された意味は、まさに自身の心の学びのためにあったことを悟ったとのことです。

ひるがえって今、人々が心の「飢え」を抱えているこの時代だからこそ、私ども信仰者は無償で世の中に「御法縁」という宝物をお配りする。それは決して苦行や難行ではなく、心底からの歓びであり、私どもが生きる意味そのものなのです。

冒頭にお伝えしましたように、世の中のフェイズは「ウイズコロナ」「ポストコロナ」へと確実にシフトしております。「コロナだからできない」は既に死語であり、コロナだからこそ、世の大変革期である今だからこそ、私たちがやるのです。

いま政治の世界は旧統一教会とのしがらみを刷新すべく混乱の極みを迎えております。この政治と宗教の関係については稿を改めて皆様にお伝えしたいと存じますが、最も肝心なことは「宗教」と「カルト」をしっかり区別することです。

宗教の目的は常に人心救済・世相善導、怨親平等の精神で世のすべての人々の幸福・平安を願い、その実践活動に勤(いそ)しむことです。

まして私ども「かむながらのみち」は、日本古来より伝わる神仏両道を真に和合させ、伝統と革新をあわせ持つ尊き法を頂戴しております。それ故、会員諸士は、恐れず、ためらわず、勇猛果敢に、お導きに、そしてご奉仕に邁進していただきたく存じます。

かむながらのみちは、神が創られた道です。

神は敵も味方もなく、すべての人々を平等に思い、導かれておられます。

真行者とは、その神仏からの想いを一心に受け、その歓びと確信をもって、自身のお役目に精一杯、生きる人のことです。

来月はいよいよ感謝祭を迎えます。今の本部道場における最後の感謝祭です。

この機会に全国会員が文字通り一つとなり、世の覚醒の源となる祈りを捧げられることを願っております。

合掌禮拝

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