会長からのメッセージ

かむながらのみちリスタート

あけまして、おめでとうございます。

この「令和」という時代は、その幕開けから、コロナ禍、安倍元総理銃撃事件、能登半島地震と、様々な試練に見舞われてきましたが、今年は「八」という末広がりの年にあたります。これまで多くの苦難を経て培われてきた智慧と感性をもとに、これから価値ある、明るい希望に満ちあふれた未来を描く年として参りましょう。

さて、昨年は戦後80年・昭和100年という記念すべき時節にあたりましたので、私はかねてよりの念願でありました沖縄慰霊の旅を挙行して参りました。

皆様ご存じの通り、彼の地は大東亜戦争末期、上陸した;連合国軍との激戦地となり、約20万人の方たち――その半数以上は沖縄の民間人が犠牲となられた地であり、この国、そして世界の平和を祈る信仰者の一人として、必ずや足を運ばねばならないと胸に刻んでおりましたが、この度、ようやくその願いが叶いました。

まず訪れた平和祈念公園には、「平和の礎(いしじ)」――それは国別、都道府県別に犠牲者お一人おひとりのお名前が刻まれており、その108にも及ぶ碑が放射状に並んでいます。その言い知れぬ荘厳さに圧倒されました。

思えば沖縄の人たちは、ここが最終決戦の地として、必ずや本土から援軍が来ることを信じて戦い抜き、そのために多くの民間人が犠牲となりました。しかし、戦後明らかになったように、当時の大本営は沖縄をいわば「捨て石」にして、すこしでも本土決戦の時間稼ぎになるように、ただそれだけを考え、決して援軍を送ることはなかったのです。

「お国のために命をかけて戦え」という言葉が、文字通り「死」を意味するような状況下、人々はかすかな望みを抱いたまま、懸命に戦い、それぞれの使命を果たし、そして亡くなられていったのです。

もちろん、当時の時代を生きていない私どもが、今の価値観をふりかざし一方的に批判・断罪することは、あってはならないことです。が、その犠牲のもとに今があることを深くかみしめる時、言いようのない怒り、哀しみ、そして平和への願いがふつふつと湧き起こってくるのです。

そして、その想いは、次に訪れた「ひめゆりの塔」において、さらに深く私の胸に迫ってきました。

ひめゆり学徒隊については、多くの方が映画や書籍などでご存じのことと思いますが、あらためてその慰霊碑と、彼女たちが凄惨な死を遂げた「ガマ」とよばれる鍾乳洞の前に立ち、祈りを捧げると、今の私たちが平和であること、幸せであることが、決して当たり前ではないと、それは体感レベルで心に刻み込まれます。

そして、その隣にある「ひめゆり平和祈念資料館」には、当時の学校生活などの写真が飾られています。その時代の人々の心を作るのは「政治・教育・宗教」、この3つであると、私は再三、申し上げておりますが、まさに当時の軍事教育をほどこされた彼女たちは、お国のために命をかけることを当たり前として生きてきました。

もちろんそれは決して繰り返してはならない悲しい歴史であり、彼女たちが戦争の被害者、犠牲者であることは確かです。が同時に、自分のことよりも人様のため、家族や国のために懸命に生きた、その姿は、やはり人として生きる最も尊い姿であったことも、また事実なのです。

彼女たちのことを「悲惨だった、かわいそうだ」とだけ見ることは、彼女たちの人生を、魂を冒涜(ぼうとく)する行為に他なりません。まるで生き地獄のような最期、しかもその状況を作り出したのは人間同士のエゴや愚かさであるにも関わらず、否(いな)、そのような状況だからこそ、己を犠牲にしてまで他人に尽くす生き方を貫いた彼女たちを想う時、政治とは、教育とは、そして真の宗教とは――その答えを、今の私たちは、やはり命を賭として出していく責務があると、私は思うのです。

その後、昼食で立ち寄ったアメリカンビレッジで、やはり私はこれからも決して忘れられない体験をしました。

車から降り立った私たちを迎えたのは、賑やかなショッピング街にも関わらず、そのすべての喧騒を消し去るほどの爆音で頭上を飛び交う戦闘機でした。しかも、それが間断なく続き、外では隣で歩く人の声すら聞き取れないほど。

幸いというべきか、お昼の休憩になったようで、ひと時の間、爆音は止んだのですが、これを毎日、聞かされている沖縄の人々は、一体どのような思いでいるのか……そう考えたとき、この沖縄では決して戦争は終わっていない。沖縄の基地問題について、報道では知っていましたが、それがあらためて多くの人たちの「犠牲」の上に成り立っていることだということを、今さらながら痛感したのです。

冒頭にお伝えしましたように、昨年は戦後80年・昭和100年――100年というのは、十干の巡りが10回、すなわち一つの時代が文字通り終わりを告げる。その意味で、私たちが激動の昭和という時代を終え、新たなスタートを切る上で、大切な年が今年、令和8年――この2026年になります。

その年を迎える前に今回、沖縄で体験できたことは、私自身にとっても非常に価値あるものとなり、これからの私自身の目指すべき道、そして私たち「かむながらのみち」の未来を考える上でも、実に意義深い旅となりました。

さて、毎年お伝えしております干支暦で本年をみますと、令和8年は「丙午(ヘイカのウマ)」、別名ヒノエのウマとなります。

丙は陽の火性、午も陽の火性で、「真夏の太陽」を意味します。60年で一巡りの干支暦において、火性のエネルギーが最大になるのが、この丙午の年です。

令和7年乙巳(オツボクのミ)、令和8年丙午(ヘイカのウマ)、令和9年丁未(テイカのヒツジ)と、この3年間は「火の年」が続きます。そして昨年もお伝えしましたが、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、それらの「蔵干(ぞうかん)」には水性――火の力を抑える水が全くありません。

昨年頭に本誌・元旦祭号において、私は「ちょっとしたはずみで火がつき、ごうごうと燃え広がりやすい年。良きにつけ悪しきにつけ、今年起きることは強い炎となって広がっていくと示唆されます」と、お伝えしました。

その言葉の通り、年頭に起きたロサンゼルスの大火災から始まり、11月に起きた香港のマンション火災、日本では大分の佐賀関(さがのせき)での火災。また、世情においては先行き不透明な戦禍。世界各国のナショナリズム化。国内では物価の高騰、米価格の高騰、日中問題……一度火がつくと広がり続いていく状況でした。

そして、今年はその火がさらに強くなっていきます。ということは、推して知るべし、このような激しい流れが本年も続くと思われます。しかし、干支の及ぼす影響は100パーセントという訳ではありません。地上に起きることは「人の意識、在り方」、そして何よりも「神仏の意志」が影響するのです。

「太陽」があり「地球」がある。太陽は生命の源。日本では天照大御神を祈り、密教では大日如来を祈り、太陽のお力を生命の根源として祈り続けています。

道祖のお言葉に「限りなく、与えて求めぬ太陽を、己(おの)が心に、学べ諸人(もろびと)」というものがあります。最高道徳――努力して、要求せずの生き方です。本年は、その太陽のような心と祈りが、より良き未来を創り出す礎となっていきます。

そして、火性は伝達の本能です。伝達は「言葉」、言葉は「言霊(ことだま)」です。発する言葉が現実化していきます。その力が極めて強くなるのが今年です。ののしりの言葉、不満の言葉、怒りの言葉は「返り矢」となって、全て自分の身にかえってきます。逆に肯定的な言葉、良き言葉、祈りの言葉、ご真言のお力が強く働きます。

以上のことを踏まえ、ここに本年のテーマを掲げます。

『かむながらのみちリスタート夢を描ける未来創り ~ 与えて求めぬ太陽の心~ 』

このかむながらのみちも立教から25年を過ぎ、未来に向けて様々な変化が求められています。「不易流行」――世の中の流れにとらわれず、決して変えてはいけないことがあります。ですが、変えるべきことは、今までの慣例に囚われずに、勇気をもって変えることです。それは次世代が夢を描き、喜びと感謝と使命感をもって生きる環境を創り出すことに繋がります。

それは当会においても、また世の中においても同じことです。そしてその根底には「丙」、すなわち太陽心。与えて求めぬ心。その心、その生き方こそ、世界の平和、バランスを失った自然環境の調和へと繋がっていくのです。

先にお伝えした、ひめゆりの塔に祀られている彼女たちの生き方、もちろん戦争は決して繰り返してはなりませんが、その時代を生きた人たちの心を、私たちは決して忘れず、むしろこれからの未来を創り出す礎としていきたいと思うのです。

本年はリスタート――再構築、再始動の年です。どうかお互い様に、胸に希望と勇気を常に持ち、人心救済、世相善導、世の中への献身と、み教えの伝導に、太陽の心をもって、明るく、そして楽しく、励んで参りましょう。

合掌禮拝

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