教主からのメッセージ

総てを生かす人生

新年、あけましておめでとうございます。

平成最後の年の幕開けとなりました。いつも以上に深い感動と、そして強い決意が皆様の胸にお宿りになっていることと存じます。

私は実に涙を呑んで苦言を呈し、諸君の幸福を祈り続けて参りましたが、一体諸君はどれ程の比例で、苦言の真味を受け入れたであろうか。私は未だに、どれ程の気持の美しさと大きさで、胸にしっかりと宿されたかを考えさせられます。私はそれを頭から否定して、未だ解脱の前途遙かに遠しと思います時、私は諸君のために悲しみに禁えません。それは誰の罪でもなく損でもなく、皆悉く空吹く風に聞き流す諸君の罪であり、損であるのを、非常に残念に思うのであります。

これは道祖が昭和十五年十月に発行された書物に記されたお言葉です。

昭和十五年というと大東亜戦争開戦の前年であり、確かに暗い時代ではあったのですが、この年は「祖皇紀元二千六百年」、神武天皇の御即位から起算して二千六百年の記念すべき年として、世の中は奉祝ムードに満ちあふれていた時期でもありました。

そのような、まさに時代が大きく変わる転換点において、道祖は『紀念』と題された書物の最後の一節に、このような叱咤とも激励とも言えるお言葉を残されたわけです。

生前の道祖のご指導は、時に厳しく、時に優しく、「或る場合には慈悲を以て愛し、或る場合は忿怒を以て誡め、常にその時と所と場合に応じて、理論に偏せず、人情に悖らず、間髪を入れず、活発々地の動きを為して、決してその当を得ずということはないのであります」という、まさにご聖訓のお言葉そのままの在りようであったと伺っております。

私もその道祖のひそみに倣ってというわけではありませんが、やはり多くの皆様に対して時には厳しい態度で接し、その方が真に目覚め、お幸せになれる道をご自身の足でしっかりと歩み出されるように、あえて苦言を呈した機会も少なくありませんでした。

そして多くの皆様は、この時代が大きく動く転換点において、自己のこれまでの信仰の歩みを見つめられ、様々なものを手にされたことを深くかみしめていらっしゃるのではないでしょうか。

そしてさらに、多くの皆様がその「苦言の真味」を十二分に味わわれた上で、「未だ解脱の前途遙かに通し」と自己を誡め、みずからさらなる高みを目指されている境地に達しておられると、私は確信しております。

我まさしく生きるの道は、一切の因縁を切ると同時に生かすにあります。人間とは因縁を離れて人間はありませぬ。より美しく生きゆくことは、人間総体の願望でありましょう。その美しき生活は解脱して、美事新しき因縁を創造するにあります。かくて自ら生きることは生かすことであります。物を生かし、心を生かし、社会を生かし、国家を生かし、観るもの、聞くもの、触れるもの、総てを生かしゆく誠こそ、即ち自ら生きる道であります。そこに解脱の報恩感謝の生活があります。

このところしみじみと心の底から感ずることは、私の一生にとりまして、このみ教えに出会えたことの奇跡というか、ありがたさです。

最初の著書にも書かせていただきましたが、私の家庭は決して幸せとはいえず、むしろ因縁だらけの家系でした。ですが、このみ教えと出会い、その道をひたすらに進み行くことによって、いつのまにか幸せを手にしていたというのが、私の実感です。

しかも私個人のみの幸せではなく、家族や周りの方々、地域の方々、ご縁ある遠方の方々にも、このみ教えを通してつながり、「総てを生かしゆく」人生にさせていただけたことが、私にとって何よりの喜びであったのです。

いえ、むしろ順序は逆でした。このみ教えを通して、まず他人様、どんなに遠くとも人心救済のため、ただひたすらお間に合うだけお使いいただく。そのことのみに邁進してきた結果、いつのまにか家族、そして自身の幸せが手元にあった、というのが真実です。

もちろん、単なるきれい事では済みません。時に迷い、時に悲しみ、これで本当に良いのだろうか、自身のこともままならないまま、世の中のため、他人様のためにと走り回ることが正しいことなのだろうかと、私自身が自己に問う場面も少なからずありました。

けれども、道祖が常におっしゃられていた「一に神仏事、二に先祖事、三に他人事、四に仕事、五に自分事」、このお言葉を胸に、会合に、ご奉仕に、そして人心救済にと、ただひたすら歩み通してきた結果、私の望む総てが手に入ったのです。

この「美事新しき因縁を創造する」というお言葉は、まさに私の人生そのものを表わして下さっているお言葉でもあるのです。

そして「総てを生かしゆく誠こそ、即ち自ら生きる道であります。そこに解脱の報恩感謝の生活があります」という、これこそ真に人が幸せになれる道であるとは、まさに私自身が実際に経てきた人生体験そのものから、確信をもってお伝えできるお言葉なのです。

皆様お一人お一人には、様々な環境やご事情があることでしょう。時に信仰生活そのものに疑問を感じ、時にすべてを投げ出してしまいたい気持ちに駆られることも、一度や二度、きっとおありになることと思います。

それでも、このみ教えを真に生活の土台に据え、大きく世の中に向かって与え続けていかれたその先には、必ず総て生かされる人生が待っているのです。この人生の法則と言いますか、ものごとの真理を皆様には再度、深くかみしめていただきたいのです。

あえて申し上げるならば、すべてを手放すからこそ、すべてが手に入るのです。

この大きな時代の転換点である本年の元旦は、常にも増して新たな気持ちで神仏に向かっていただきたく思います。

かむながらのみちも二十周年ということですが、二十年前、亡き会長と、そして心ある周りの方々と共に大切に育ててきたこの道が、まさにこれから大きく世の中に向けて羽ばたこうとしております。

そのような感慨を胸に私自身、これからもこのみ教えの中で精一杯、この命をお使いいただこうと、新たなる年に神仏の御前で誓いを立てさせていただきました。

どうかこの記念すべき年が、皆様の人生にとって大きな飛躍の年となりますよう、心から祈念しております。

これからも共に、この道を歩んで参りましょう。

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