教主からのメッセージ

真行

令和四年、あけましておめでとうございます。

日本人は古来、すべてのものに神が宿る「八百万(やおよろず)の神」という感性を大切にして暮らしてきました。それは人や物だけではなく「時間」もそうです。

お正月とは、それぞれの家に新たな年(とし)神(がみ)様をお迎えし、共に祝い、楽しみ、歓ぶ中で、この一年を一緒に過ごさせていただく神様からのすがすがしい気をいただくための行事です。皆様のご家庭は、いかがでしょうか? この新たな年の神様に歓んでいただいているでしょうか。笑顔をたやさず、お互いを思いやり、おだやかなお正月を過ごしていきたいものです。

さて、昨年末にもお伝えした通り、この令和四年という年への期待、願い、夢は、皆様の胸の中で否(いや)応(おう)無しに高まっていることと存じます。
期待が無いところには、何も生まれません。人が期待や願いを抱くからこそ、神仏はその思いに意を沿えてくださるのです。

今年はきっと、すばらしい年になることでしょう。それは何も、コロナが収束するとか、経済が上向きになるとか、そのような「小さな」問題ではなく、多くの人がこの二年間で気づき、学び、獲得した新たな生き方が、大きく世の中で動き出す萌(きざ)しが見え始めているからです。

『真行』という書物があります。昭和十七年、先の大東亜戦争が開戦となった翌年に道祖・解脱金剛尊者が書かれたものです。「ここには私のすべてが書かれているから、会員は百万遍、千万遍も繰り返し読むように」というお言葉を、道祖は遺されています。

神人世活とは信神世活と解してもよい。所謂宗教世活を意味するのであるが、宗教という言葉は不徹底であり而も神祇思想や随神世活には適切でないものがあるから之を用いない。
要するに神と人との交流世活を謂う。

常に私が引かせていただく『真行』の冒頭の御文章ですが、この年頭にあたりあらためて会員の皆様にお伝え致します。

私たちかむながらのみち会員が踏み行なうべき生活は「神人世活」です。

神人世活とは、神と共にある生活。神の意を受け、その心をもって世を活かす、お役に立つ行ないに徹する生き方。それが「随神世活」、すなわち神に随う生き方、「かむながらのみち」だ、ということです。

それを道祖は信仰という文字ではなく、あえて「真行」という言葉をもって表わされました。この「真行」こそが、「かむながらのみち」そのものです。

では、真行とは何でしょう。真に行なうこと。真剣に行なうこと。真実に生きること。真理にかなった行ないをすること。

「真」という字はもともと「眞」と書きます。一説によると、この「眞」とは行き倒れの死体を表わした字であると言います(白川静『字統』他)

もっとも古代の人は、死を忌み嫌うのではなく、むしろ死を介した見えない世界こそが「まこと」、真実であるという捉え方をしていました。

ですから、このように非業の死を遂げた方の「瞋(いか)り」を「慎(つつし)んで」「鎮(しず)め」させていただくことにより、かえって見えない世界からのメッセージ、恩恵をいただけるのだという思想が、この「眞」という字には込められています。

私たちは、新型コロナウイルスによる感染症という、歴史的にも大きな試練を頂戴しました。そこではたくさんの非業の死がありました。

しかし、それを悲しみや苦しみで受け取るだけではなく、そこから今、私たちに神仏は何をお伝えされているのだろう、どのような意図があって、この苦しみ、悲しみがもたらされたのだろうと、自身の心を慎み、鎮め、神仏がこの世に実現されようとしている真理を受け止めるためにこそ、今この時があるのです。

目に見えぬ神を何処に探ね求むべきか。それは決してかの幽霊を見るが如く、神の御姿を幻想し妄念することではない。
我等は凡て現象を通じて神の本質に触れ実体を直観するのを本道とする。

こちらも『真行』からの一節です。

信仰とは、何も神のお告げをいただくとか、霊を見るとか、そのような「幻想」や「妄念」を抱くことを目的とするものではありません。ただひたすら、あらゆる出来事に神仏の意図があることを確信し、少しでもその意図にふれさせていただけるよう、祈りと学びと生活行により、日々精進させていただくことを目指しているのです。

「出来事言語」を読み取る力を養う。あらゆる事象、出来事に神仏の思いを感じ取れる感性を養う。そのために日々の祈りがあるのです。学びがあるのです。
信仰を生活に取り入れると、何が変わるのか。その答えは決して難しいものではありません。人にやさしくなれるのです。思いやりを持てるのです。

人の気持ちがわかる、この社会や時代の気持ちがわかる。自然の気持ちがわかる。そして、ことさらに意図していなくとも、人のために動けるようになる。社会のお役に立つ行ないができる。自然をいつくしむ生き方ができる。その結果、いつまにか「幸せ」になっている。それが真行であり、すなわち「かむながらのみち」なのです。

これから世の中の動きが盛んになるにつれ、皆様は様々な出来事に遭遇することでしょう。それは決して楽しく喜ばしい出来事ばかりではないかも知れません。ですが、そこにこそ神仏が私たちに願われている、期待されている意図、メッセージがあると捉え、その真理を深く悟り、そしてその神理を世の多くの人々にお伝えするお役目、責任が、私たちにはあるのです。

どうかお互い様に、真実の行ないをしてまいりましょう。この『真行』という本を常に身近に置き、繰り返し神人世活の根本に立ち返っていきましょう。神仏は常に私どもと共にあります。その歓びと確信をもって、今年は命をかけて、この信仰を世に広めてまいりましょう。

かむながらのみちとは、神と共にある道です。

神仏の願いをいただき、この一日一日を真剣に生きる道です。

この慶ばしき年頭にあたり、あらためて世のすべての人々の平安と幸せを心から祈念させていただきます。

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