教主からのメッセージ

天の時、地の利、人の和

二月を迎え、節分・立春という、年の節目(ふしめ)がやってまいりました。

すべてのものごとには「節目」というものが必要です。ものごとは一つ一つの積み重ねです。竹は節目があるからこそ、しなやかで丈夫です。始まりと終わり、この節目節目に、神仏への礼節と祈りを欠かさない生き方に、信仰者としての生活の基盤があるのです。

さて、年明けからオミクロン株による第六波が急速な広がりを見せ、様々な対応・対策に追われる日々となりました。ただ人びとの中には、単なる慢心とは違って、「きちんと対策を取れば、コロナとも共存できる」という意識が確実に根ざしているように思えます。もちろん油断は禁物ですが、もう次の段階へと人類は確実に歩み出しているように、私には思えてなりません。

与(あた)えられたことは出来(でき)ることなのだ。神様(かみさま)は出来(でき)ないことを与(あた)えはしないのだよ。

道祖のこのお言葉と共に、本年のテーマでもあります「天意拝受」という言葉を、今この時だからこそ、あらためて皆様と共にかみしめていきたいと思います。

昔からものごとが成就するためには、「天の時、地の利、人の和」、この三つの要素が大切だと言われています。

もっともこの言葉の出典である『孟子(もうし)』の原文は、「天の時は地の利に如(し)かず、地の利は人の和に如かず(どんなに天候や地形が有利であっても、人の団結力がなければ戦(いくさ)には勝てない)」と、あくまで「人の和」を強調する教えとして書かれています。

ですが、これは当時、戦乱の世に明け暮れていた国の王に向けて孟子が諫(いさ)めた言葉であり、天や地をないがしろにしてよいという意味ではありません。人心が乱れている今だからこそ、味方の団結を重んじることで、初めてすばらしい戦略も理想通りに進むということを言っているのです。

人の和とは、今の言葉でいえば信頼関係であり、人と人とのご縁、つながりです。地の利とは、それを行なう場所です。使命を果たすには、場が大切になります。土地にもご縁というものがあるのです。

そして天の時とは、すなわち天意に他なりません。言い換えれば、天の意は、時と共に刻(こっ)々(こく)と変わっていく。その変化を見極めることがなければ、ものごとは決して成就しないのです。

人はよく、正しさに振り回されることがあります。自分の考えていることは間違っていない。正しい。だからこうあるべきだ。こうでなくてはならない。

それはそうなのですが、あえて言うとすれば、ものごとが成就するためには、実はこの正しい、正しくないというのは、それほど重要ではないのです。

自分のその正しさが、果たして天の意にかなっているか。いまこの時に必要とされているのか。天は今、私に何をしろと命じられているのだろうか――もちろん、自分が持っている正しさを否定して、周りに迎(げい)合(ごう)し、優柔不断であれ、ということを言っているのではありません。

むしろ、自分の中の正しさを実現するためにこそ、今は何が必要なのか、目の前のこの人には何が必要なのか、この社会には、この国に本当に今、必要なものは何なのか。そのことを徹底的に考え抜くことです。妥協(だきょう)とは正反対です。

自分のその狭い「正しさ」をいったん手放して、真に神仏の望む「正しさ」を手に入れること。それが「天意拝受」なのです。

真(しん)に惟神(かんながら)の大道(だいどう)を体得(たいとく)した者(もの)は、一方面(いちほうめん)の担板漢(たんぱんかん)ではあり得(え)ない。縦横(じゅうおう)無碍(むげ)な自由(じゆう)な行動(こうどう)を為(な)し得(う)るものであります。

このような「真のかむながら」の境地を得るためにこそ、祈りがあるのです。学びがあるのです。そしてその祈りと学びを日々、決して怠らないことです。

朝夕のお勤め、月々の会合、氏神様参り、折々のお墓参り――信仰とは、生活の中に「祈り」の時間を取り入れること。ただそれだけです。ただ、それだけのことですが、その祈りがいつしか生活の中心軸となることによって、あらゆる変化に対応できる基盤が、土台ができあがるのです。

解脱(げだつ)。解脱(げだつ)とは
敬神(けいしん) 崇祖(すうそ) 絶対(ぜったい)崇拝(すうはい)のこと
朝(あした)に 報恩(ほうおん)の 真(まこと)
夕(ゆうべ)に 感謝(かんしゃ)の 行(ぎょう)
三綱(さんごう) 五常(ごじょう)の大恩(だいおん)に絶対(ぜったい)服従(ふくじゅう)し、
天職(てんしょく)を必(かなら)ず忘(わす)れずに、努力(どりょく)すること

一つ一つを、きちんきちんと丁寧に、焦(あせ)らず、怠らず、歩み続けていきましょう。道祖のお言葉にも「馬鹿の稽古」というものがありますが、信仰の世界では、生半可(なまはんか)な知識や正しさをふりかざすよりも、真に愚直(ぐちょく)で幼く素直であることが求められます。それが神仏の意につながる、ただ一つ、唯一の道しるべだからです。

かむながらのみちとは、神と共に歩む道です。

神が望む本当の正しさを身に受けて、この世に実現していく道です。

天の時、地の利、人の和を、いつも心に置いて、その実現に向けて努力し続ける道です。

最後になりましたが、皆様ご存じの通り古神道本宮身曾岐神社宮司・坂田安儀先生が1月5日ご逝去されました。坂田先生から受けた御恩、共に過ごした日々の思い出は尽きることがありません。慎んでご冥福をお祈り申し上げますと共に、先生の遺された想いをしっかりと受け継いで身曾岐神社の興隆と人心救済・世情安穏に向けて更なる精進をご霊前にてお誓いさせていただきます。

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