会長からのメッセージ

怨親平等の祈り

天意というのは一度発動したら、私たち人類の覚醒がない限り、容赦なく出来事を起こし続けるようです。

新型コロナウイルスによる感染症の拡大、ロシアによるウクライナ侵攻、そして先月八日、世界一安全だと言われてきたこの国の元首相が銃弾により命を落とされました。

至心より安倍元首相のご冥福をお祈りし、お悔やみ申し上げます。と同時に、あの惨劇から日々、本部そして各会場にて御霊の鎮魂を祈る毎に、この出来事に込められた天の意図は何処にあるのか――この問いが私の中に去来します。

まして彼の地は私どもかむながらのみち奈良会場のお膝元であり、私自身出講の度に下車している馴染みの場所。その奈良会場で先月末、本年の布教イベントの一環としてワークショップを開催して参りましたが、これを果たして偶然と一言で片付けてよいものか。断じて否です。

世間では犯行に及んだ一青年の家庭環境や宗教団体との確執が取り沙汰されているようです。もろちん前途ある青年をそこまで追い込んだ原因を突き止めることも大切です。が、もっと広い視野でこの出来事を捉えることも必要です。

すなわち天地の理法から見た敵味方の怨念による因果応報――勝ち組と負け組、敵と味方、すべてを単純な二項対立のもとに振り分け、何かあれば「自己責任」という大義名分を振りかざし、自己と他者との繋がりをことごとく切り捨ててきた近代の日本。その歪(ゆが)みが今回の「蛮行」を生み出したことは火を見るよりも明らかです。

いくら警備体制を強化しようが、民主主義を声高に叫ぼうが、「私たちは負けない」と闘いの姿勢をあおればあおるほど、弱者は「世間」の外へとはじき出されていきます。私たち「和の国」は、いったいどこへ向かおうとしているのでしょうか……

今月十五日には、横浜本部の金剛山成就院にて怨親平等の精神を基とした「太古以来敵味方生霊想念怨念無縁之霊」を鎮める大供養を厳修致します。

元々八月十五日は大東亜戦争終結の日として先の大戦にまつわる戦争戦災犠牲者の御霊の追悼供養を行なって参りましたが、コロナ禍を端緒とするこれまでの経緯を鑑み、すべての争いの根幹にある敵味方生霊想念怨念の御霊について、今こそ全身全霊をもっておさめさせていただく時が到来したことを確信し今回の仕儀に至りました。

本部への参集はもちろん、全得度者は衣体に身を包み威儀を整え、そして全国会員は各会場・各家庭にてこの尊き祈りを共にしていただきたいと切に願う次第です。

さて、この怨親平等の祈りというのは、皆様もご周知の通り道祖解脱金剛尊者がご生前、様々な場面で会員諸士に訴えかけられていたものですが、そのきっかけは昭和十二年に勃発した日中戦争であったと伺っております。

同年七月七日、盧溝橋(ろこうきょう)事件から始まった日中戦争。その年の十月、秋の大祭の折、道祖は「霊祭(れいさい)大供養(だいくよう)」と称し、「皇軍(こうぐん)出征(しゅっせい)戦病死者(せんびょうししゃ)之霊」「太古以来軍馬犬鳩(ぐんばけんきゅう)之霊」と共に「太古以来敵味方無縁一切之霊」に対し全会員が真心からの祈りを捧げるよう通達されました。

それを聞いた会員の中からは、「皇軍や軍馬などの供養は分かるが、敵の供養をするとはどういうことか。これが当局(とうきょく)に知れたらどうなるのか」という声が上がったそうです。

当時の日本は大日本帝国憲法下、言論・行動においても様々な制約があり、少しでも不穏な動きがあれば「当局」が有無を言わさず取り締まり、逮捕、取り調べ、果ては拷問などもごく頻繁に行なわれていました。事実、道祖はこの時期、何度も取り調べを受け、時に理不尽な暴力にも実際遭われていたことから、先の会員の声が上がったのです。

しかし、それに対して道祖は、「敵も味方も自国のことを思い戦ったことに変わりはない。怨親平等の精神で供養するように」と、確信に満ちたお言葉で会員を鼓舞(こぶ)されたそうです。

解脱は人心の骨組を換えて、本当の世界を創り成すにある。

私どもかむながらのみちにおいても、道祖のこの大御心(おおみこころ)にならい敵味方を超えた怨親平等の供養を捧げることを信条とし、様々な場面で会員各位にその精神をお伝えして参りました。

しかし今の世界情勢を鑑み、この道祖のみ教えを私どもの会だけでなく広く世の中へと伝えなければならないという使命感のもと、全国各地の講演会において「怨親平等」について説き始めた、まさにその中で起きたのが安倍元首相の惨事だったのです。

私はこの講演会において、今までに無い手応えで多くの方々の魂に信仰の言葉、祈りの心が伝わっていることを実感しております。まさしく乾いた砂に水が染み込むように、人々の「待っていた」と言わんばかりの熱い心を感じています。

それは時代の必然的な流れです。たまたまある企業コンサルタントの知人が、このようなことを口にしていました。「これからの企業は、精神的なもの、宗教的なものを取り入れなければ、決して生き残れない――」。

戦後日本の復興において、荒廃した人々の心を救い世の中に希望を指し示したのは、まぎれもなく「新興宗教」とよばれた人たちでした。幕末の動乱期然(しか)り、平安末期から鎌倉初期にかけての変革期然り、世の中が混迷を極める時代には、それまでの形骸化した体制を超越した新しき「祈り」が人々の先駆けとなり、多くの民を導いていったのです。

思えば先の惨劇が奈良の地であったということも誠に示唆に満ちた出来事です。奈良は日本発祥の地であり、日本創生の礎(いしずえ)となられた初代神武天皇が建国の威をお示しになられ、そして今も橿原(かしはら)の御稜(ごりょう)から私どもを見守ってくださる聖地でもあります。

そもそも日本において政治とは本来、「政(まつりごと)」、祭り事であり、すなわち神事でありました。その原点回帰、政治も本来の祭り事に返るべきだというメッセージであると、私は深く受け止めさせていただいております。

もう一つ、今回の講演会において特筆すべきは、このコロナ禍で得た各々の「パラダイムシフト」について会員の方から体験発表を頂戴しておりますが、その内容が実に素晴らしいことです。

世界規模で様々な動きに強制的ストップがかかる中、あらためてこれまでの価値観・世界観・死生観を見つめ直し、いち早く新しい生き方に覚醒された会員の皆様が、このコロナ禍にもかかわらず、否このコロナ禍だからこそ大きな成果をそれぞれ手にされております。その体験はまさに感動以外の何ものでもありません。

と同時に、これは常に私がお伝えしていることではありますが、人は小宇宙であり、世界で起きていることは即ち自分自身に起きること。世の中が敵味方の想念怨念で満ち溢(あふ)れているのであれば、それは必ずや自分自身にも降りかかってくるのは理の当然。

その理を深く受け止め、自身の再生・新生を成し遂げ、まずは自分自身の身の周りから世界平和を実現していく者こそが真の信仰者、「真行者」であるのです。

そのような意味で、私は多くの会員諸士が、「困難だからこそ、やる」という信念のもと、勇猛果敢に臆することなくお導きに邁進されていることをとても誇らしく、また頼もしく感じております。

私どもが今、日本中で発動を促しているこの「再生の祈り」が、この国の、世界のbroken&buildを推進していくことを強く願ってやみません。
怨親平等の祈りとは、無念の思いで亡くなられた全ての御霊を悉(ことごと)くお救い申し上げるだけでなく、その想いを今度は世の中の再生を創り成す強い力へと昇華していくものなのです。

かむながらのみちとは、神仏と共にある道です。

神仏があらゆる出来事を使い、私たちを覚醒へと導いてくださる、その道行きの先駆けとなり、確信と歓びのもとに進んでいく道です。

私どもかむながらのみちは、まだ若い教団ではありますが、その根底にあるのは日本古来の神と仏を祀り祈る「神仏和合」、日本人の信仰の原点をお伝えしております。

ですから会員の皆様は、今後も恐れることなく、迷うことなく、この道の尊さと歓びをお伝えし続けていただきたいと思います。

これからも人類覚醒の礎となる為、共に努力精進して参りましょう。

合掌禮拝。

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