教主からのメッセージ

幸せに生きるとは

三月になりました。春は出会いの季節であり、また同時に別れの季節でもあります。

ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心(ごころ)なく 花の散るらん
(のどかに陽(ひ)の光がさす春の日に、どうして桜の花はあんなにも落ち着きなく、散りいそぐのでしょう)

こちらは百人一首にも採られている有名な歌ですが、日本人は古来より、時の移ろいゆく一瞬一瞬を、かけがえのない尊いものとして捉え、それを三十一文字(みそひともじ)として表わしてきました。また、そこで歌われた自然の営みが、そのまま人の生き様やあらわれを表現しており、私たちの胸を打つのです。

付言しますと、この歌を詠んだ紀友則(きのとものり)は、いとこの紀貫之(きのつらゆき)と共に『古今和歌集』の選者になりましたが、その完成を見ずに亡くなりました。その友則の人生を、この歌に重ね合わせて読んでみると、満開の桜が散る姿に移ろいゆく季節を感じると共に、命のはかなさ、そして尊さを実感することもできるのではないでしょうか。

私たち日本人は、このように美というものを通して、人と人とのつながり、人と社会とのつながり、人と自然とのつながり、つまり「ご縁」を大切にする生き方、感性を育(はぐく)んできました。

最近、この歌や俳句といったものが見直され、一つの流行となっているようですが、若い人たちがこういった伝統的な芸術を通して、人や自然をいつしくむ感性を磨いていかれることは、今このような時代だからこそ必要なものだと、神仏からの尊いお手配すら感じられ、これからの未来を創り出すためのとても大切な柱になるのではと思っております。

さて、昨年より毎月、私は映像を通して皆様にメッセージをお伝えしております。その中で特に「お役に立つ生き方をしましょう」ということを再三、申し上げておりますが、この「お役に立つ」ということについて、どうか今一度、会員の皆様におかれましては深く思いを寄せていただきたいのです。

私どもは、道祖・解脱金剛尊者のみ教えをいただくものとして、道祖が最も大切にしておられたお言葉、「報恩感謝」ということを、常に念頭において日々の生活を送っております。

報恩感謝が人の道。
針ほどの恩を棒ほどに着られる人間になれ。
数珠つまぐりて読経するのも尊い生活である。だがそれだけを信仰生活と思い込むのは勘違いであります。今日一日も御恩の中で、喜び働き生き続くるこの心こそ気持こそ、きょう一日を一瞬を喜びの世界に送り届くる、御恩返しの一日であります、人間であります。

道祖のおっしゃられる、この「御恩返し」こそ「お役に立つ生き方」そのものに他なりませんが、ただここで気をつけていただきたいのが、何かまるで義務や苦行(くぎょう)のように、お役に立つ、「恩返し」「報恩行(ほうおんぎょう)」をしなければならない。頑張って、我慢して、苦しみながら報恩行をすることで、その結果、喜びがあり、幸せになれる――ということでは、全くないのです。

ここで道祖がおっしゃられているように、「御恩返し」「報恩感謝」そのものが喜びであり、生き甲斐であり、言い換えれば、御恩返しに生きることが、そのまま「幸せに生きる」ことそのものなのです。

何かを得たから幸せになれる、何かを得られないから幸せになれない、そういった「結果」が幸せを左右するものではない、ということは、おそらく皆様、ここまでのお勉強でしっかり学ばれていることと思います。

それでは何が幸せであり、何が不幸せなのか。幸せに生きる、その生き方の根幹は何か。

もちろんそれは古来より多くの宗教家、思想家といった方たちが、様々な言い方でそのような人生の究極を表現してこられましたが、私どものみ教えの中では、答えは至極、単純明快となります。

すなわち、「御恩返しに生きること」、これがすなわち「幸せに生きること」、そのものなのです。

三綱五常報恩

国土の大御恩 報じても報じ難し
国土とは、私たちが生まれ育った、この大地です。すべての命は、大地より生まれ、大地に還(かえ)ります。国土からの御恩は無限であり、ゆえに「大御恩」というのです。

父母の御恩 報じても報じ難し
先祖は「おや」です。自分を生み育ててもらった父母への感謝は、すなわち御先祖様への感謝へとつながるのです。

師の御恩 報じても報じ難し
命あることは父母への感謝。今ここまで育ったことは師への感謝です。師とは先生のことですが、幼き頃から私たちを育み、さまざまなことを教えてくださったすべての方が、私にとって師であるわけです。

社会の御恩 報じても報じ難し
父母の御恩は、縦のつながりへの感謝。社会の御恩は、横のつながりへの感謝です。この社会があるおかげで、私たちの日々の生活が営まれています。身の周りどれ一つとってみても、社会の御恩で無いものはありません。

天地宇宙万物の御恩 報じても報じ難し
天地宇宙万物とは、神仏のおかげさまを思うことです。万物の源である神仏を中心に、家庭、社会、国が創られ、その基に日々感謝の祈りを捧げながら、人々が暮しゆく世界が、真に平和な世界なのです。

毎日神様の前でお唱えさせていただいている、この三綱五常報恩ですが、あらためて皆様お一人お一人の胸で、しっかりとかみしめてください。

このような心がけで生きていれば、きっと良い結果が得られるよ、幸せが訪れるよ――ではないのです。

そうではなく、この三綱五常報恩に生きることそのものが、既に幸せなのです。この尊き御言葉に表わされているように、すべてのものごとからの恩恵を感じ、その感謝の心を形にしよう、返しても返しても返し切れない御恩だけれども、今日一日精一杯、自分のできる限り、お役に立つ生き方をしようという、その生き方自体が既に喜びであり幸せなのです。

どうか幸せに生きる、その生き方の核心をつかんでください。皆さんが今、日々を精一杯、生きている、そのこと自体が既に幸せなのだと、かみしめてください。

そして、その幸せを多くの人に分かち合ってください。

繰り返しますが、何かを得られたから幸せ、何かを得られないから不幸せ、ではないのです。確かに何かを得られたことにより一時的な快楽は生むでしょうが、それはあくまで一つの感情です。

幸せとは一時的な感情ではなく、魂の根底からこみ上げてくる、生きる歓びです。希望です。力です。勇気のことです。

どうかここから今一度、お互い様に「報恩感謝」に生きる誓いを立ててまいりましょう。道祖が私たちにお示しくださったみ教えの根幹に立ち戻りましょう。

今このような時代だからこそ、神仏は私たち人類に、本当の幸せとは何かを教えてくださいました。そして今、このような時代だからこそ、私たちには本当の幸せとは何かを、人々に伝える役目があるのです。

お役に生きましょう。神仏のお役に立つ生き方をしてまいりましょう。神仏とかわした魂の約束を果たしてまいりましょう。
かむながらのみちとは、神と共に生きる道です。

人様の役に立ち、社会の役に立ち、自然の役に立ち、そして神仏の役に立つ、そのような生き方を実践していく道です。
そして、日々を幸せに生きていく道です。

春は別れの季節であり、そして出会いの季節でもあります。新たな出会いに胸おどらせると共に、そのご縁を大切に育んでまいりましょう。

いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重(ここのえ)に にほひぬるかな
伊勢大輔(いせのたいふ)

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