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天職遂行

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毎年、この時期になりますと先の大戦、大東亜戦争のことについて思いを馳せる機会が多くなります。
私も戦争体験者の一人として、その惨状を本誌上、あるいは会合などの講話で、これまで何度もお伝えして参りましたので、ここで殊更に繰り返すことは致しませんが、もし皆様の身近にも戦地、あるいは戦時下の生活を経てきた方がいまだおられるとしたならば、どうかそのお言葉に真摯に耳を傾けていただきたく思うのです。

私も時折、彼(か)の戦争において尊い命を散らされた方々のお言葉を時折、ひもとくことがございます。特に靖國神社の社頭掲示を集められた『英霊の言乃葉』――皆様も正式参拝の折にいただいたことがあるかと思います、さらに私が東日本大震災の翌年、平成二十四年の初頭に出版致しました『いま、日本を想う』でもご紹介しました『世紀の遺書』など、みずからの死を覚悟された方々のお言葉には、私どもの胸を深く打つものが多くございます。

試みに、その一つを引かせていただきます。

更級(さらしな)横多(よこた)神社社頭に於いての出征挨拶
陸軍大尉 望月重信 命 
昭和十九年五月二十二日 フィリピンにて戦死
長野県更級郡篠(しの)ノ井(い)町出身 三十五歳

本朝はかくも早々皆様の熱誠なる御歓送をいただきまして、まことに感謝に堪へません。私は皆様の御心に報ゆべく、必ず全力を尽して御奉公を致す覚悟であります。今やこの非常時は、今までの戦争の様に、単に世界の地図が塗り変へられるといふ丈(だけ)のものではありません。世界人類の歴史の上に、数百年の大きな時代を画(かく)して、人類の人生観が、国家観が、世界観が、政治の上にも、教育の上にも、経済の上にも、芸術の上にも、宗教の上にも、その他一切に大ひなる飛躍をなさむとしてゐるのであります。新らたなる世界が、我が皇国日本を母体として生れむとしてゐるのであります。(中略)
戦死すると云ふ事は、人生本来の約束から観れば、それ程驚くべき事でも、またさして悲しむべき事でもありません。増してや、天皇の御為にこの一命を捧げます事は、日本男子の本懐であります。吾等は只、この生れては死に、死んでは生れてゆく悠久なる人生の連鎖に於て、如何にして永遠の生き甲斐に生き、さうして不滅の死に甲斐に死ぬかと言ふ事であります。(中略)
私は本日、大命を拝して勇んで戦線にのぞみます。もとより生還は期して居りません。
然し、私達をして死に甲斐あらしむるか否かは、あとに残られた皆様の責任であります。今後まだまだ大なる、それこそ非常なる艱(かん)難(なん)が国家の上に、皆様の上に、必ず振りかかって来るのでありませう。その時になって、どの様な苦しい事があっても、皆様は決してへこたれたり、悲鳴をあげるやうな事があってはなりません。どうかこの事をこの社頭におきまして、くれぐれもお願ひ致しまして出発のご挨拶と致します。終りにのぞみまして、村内皆様の御健康を祈ります。
終り
昭和十四年五月一日
(『英霊の言乃葉――社頭掲示集第十一楫』より

少し引用が長くなってしまいましたが、これから戦場へと、すなわち死地へと赴(おもむ)かれんする方が、遺された方々へ送る言葉として、直に今の私たちにも届くところが多いことと思います。特に「私達をして死に甲斐あらしむるか否かは、あとに残られた皆様の責任であります」というお言葉は、今の私たちの生き様をそのままに問うお言葉として、正面から受け止めていただきたく思うのです。

もちろん、戦争は絶対に繰り返してはならない人類の悲劇です。決して戦争の賛美などあってはならないことです。
しかし、このようなお言葉を前にしても尚、「戦争は人から人間性を奪うだけで何も、もたらさなかった」「死ぬことだけを考えるように洗脳されていた」などと、かえってその方たちの人間性を奪うような発言もまた、あってはならないことだと私は思うのです。

もちろん、死地へとこれから赴こうとされる人の胸中が複雑なのは当たり前です。決してここに掲げられているだけの心境だけであるはずはなく、家族への思いもあるでしょう、死にたくないという思いもあるでしょう、それは私どもの伺い知れることではありません。

ですが、そのような境地においても尚、見送りに来られた方々へ、そして自分自身へも言い聞かせるかのようにと遺された、このお言葉に込められた人の想いを受け取ることのできる感性だけは、決して失ってはならないと思うのです。

戦争という人類極限の境地に遭われた時、私たちの先人たちが達せられた心境、それは悟りの境地と言っても過言ではありません。まさにこれこそ、比喩でも何でもなく、私たちが未来へとしっかりと引き継ぐべき、人類の遺産なのです。

今日この戦争を通過しつつ、尚人間になりきらぬものは、生涯人間の価値はありませぬ。戦争は人間を試験する最も偉大なる指針であります。換言すればそれは解脱の審判であります。

道祖のこのようなお言葉も、決して単なる戦争賛美を謳ったものでないことは、ご生前のこととして語られた様々なエピソートからして明らかです。
道祖は戦争という状況の中で、その戦争という機会さえも通して人間解脱、悟りへの境地へと一人でも多くの方を導こうとされました。

人間の真の価値とは、限られた人生という時間の中で、どのような結果を生み出すかということ以上に、その置かれた環境をどのように受け止め、どれだけその中で努力し続けることができたか。命を燃やし続けることができたか。その智慧と情熱こそが、最も尊く価値あるものに他なりません。

道祖は、在家宗教に生きる信仰者としての生活の根幹として、家庭伝道(本誌平成三十一年三月号参照)を大切にされると共に、もう一つの柱として「天職遂行」ということを事あるごとに口にされました。

自我没却、即ち凡ての情理自己欲望の一切を捨て、天与の職業に精進すれば、これ自己の天職ただに自己を生かす為めならず、天与即ち天地宇宙万造の神より与えられたる職分を、天地の神に奉仕する尊いものでありまする。
自己天職即ち天与の功徳も識らず、その業の貴賤差別し自己職業をさげすむ如き類例少なからず。その結果万事行き詰り、自己窮極の苦界に陥れ、天与の職分に離る如き、これ「天罰」「天地の神おとがめ」のみならず、自己自身、天与宇宙万造の神の功徳を捨てたるにあらずや。

ここで道祖が繰り返し「天与」というお言葉を使われていることの真意を、どうか皆様には受け止めていただきたく思うのです。

天職というと、今の世の中では「自分探し」と同様、何か自分にあった職業を見つけるようなニュアンスで語られることが多いのですが、道祖のいう「天職」とは、それとは真逆で、今自身がいる境涯そのものを天与のものと受け止め、その中で必死に努力精進する姿を「天職遂行」とおっしゃられているのです。

自身に与えられたものが、どれほど苦しく、辛く、またどれほど理不尽に見えようと、それは全て天与、すなわち神の与えられたる試練にして、また恩寵でもあるという神理を深く認識し、その務めを果さんとする想いと行動こそが、今の現実そのものを変えていく原動力にもなるのです。

どうかその理を間違えず、今の自分自身の立っている位置そのものを、お互いにそれぞれ見つめ直していただきたく思うのです。

八月はお盆の月、また先の戦争に想いを馳せる月として、様々な祭事があります。その一つ一つを大切に、そのすべてを自己の生き方の糧として、この夏を機にあらたな自分の拠り所を定めていただきたく思います。

先の北海道から始まった布教の輪が全国へと広がり、さらに十月にはかむながらのみち二十周年の記念祝賀会が催されます。
その全てが自己の成長の糧です。神仏より与えられた尊い機会です。

お互いさまに、これまでの歩みを振り返り、見える世界、見えない世界共に救われていく道とは何か、探求し、実行し、そして祈る日々を過ごしていきたいと存じます。

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